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塚原卜伝 つかはらぼくでん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

塚原卜伝
つかはらぼくでん

戦国時代の剣豪。卜伝流 (新当流) の始祖。鹿島神宮祠官卜部 (うらべ) 覚賢の次男。塚原安幹の養子。初め朝孝,のち高幹。通称,新右衛門。父に鹿島流,安幹に新道流を学び,鹿島神宮に参じて「一の太刀」を考案し,新当流を開いた。

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デジタル大辞泉の解説

つかはら‐ぼくでん【塚原卜伝】

[1489~1571]室町後期の剣客。常陸(ひたち)の人。卜伝流(新当流)の祖。上泉伊勢守新陰流を学び、流派を成したのち諸国を歴遊してその弘布に努めた。足利義輝(あしかがよしてる)北畠具教(きたばたけとものり)らを指南したという。

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百科事典マイペディアの解説

塚原卜伝【つかはらぼくでん】

戦国時代の剣客。常陸(ひたち)の鹿島神宮社家の出。初め神道流を学び,のち上野(こうずけ)の上泉秀綱に師事し新当(しんとう)流を立てる。諸国を武者修行し,将軍足利義輝らに刀槍の指南をしたという。
→関連項目神道流

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

塚原卜伝 つかはら-ぼくでん

1489-1571 戦国時代の剣術家。
延徳元年2月生まれ。父卜部(うらべ)(吉川)覚賢から家伝の鹿島中古流を,養父塚原安幹(やすもと)から神道流をまなぶ。一(ひとつ)の太刀の極意をきわめ,新当流をおこす。将軍足利義輝(よしてる)や北畠具教(とものり)の師となり,おおくの門人をそだてた。後世,戦わずに勝つ無手勝流の逸話をうんだ。元亀(げんき)2年2月11日死去。83歳。常陸(ひたち)(茨城県)出身。名は朝孝,のち高幹(たかもと)。

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朝日日本歴史人物事典の解説

塚原卜伝

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:延徳2(1490)
室町後期の剣術家。常陸国(茨城県)塚原に生まれる。常陸鹿島神宮の祝部占部土佐守覚賢の次男。幼名朝孝,のち卜伝と号する。父土佐守は飯篠長威に天真正伝香取神道流を習い長子新左衛門に継がせようとしたが早世したため卜伝を後継者とした。長じてのち下野に上泉信綱 を訪ね弟子となり陰流を究める。研鑽して一流の達人となり諸国を遍歴,合戦に臨み当代無双の剣名を挙げる。「鑓合九度,高名の首廿一,其内鑓下の首,或は崩際場中の首七度有て武辺誉の者也」(『甲陽軍鑑』)とあり,その秘伝奥儀は「一つの位,一つの太刀,一つ太刀,如斯太刀一つを三段に見分候」(『同』)という。弟子に室町幕府将軍足利義輝,伊勢国司北畠具教,細川藤孝,松岡兵庫介らがいる。 廻国修行は前後3回におよぶ。老躯帰国するにおよび家督のこともあり,3子の技量を試すために暖簾の上に木枕を置きひとりずつ招く。3男は落下する木枕を瞬時に斬り,次男は飛び退いて刀に手をかけ,嫡男は木枕があるのを見て取り下ろし座敷に入る。これを見て嫡男彦四郎の不動心を愛でて家督を譲る。また左太刀の片手打ちの名人との試合に際し左太刀の片手打ちは卑怯と固辞すること10度。試合に入るやひと太刀に頭を打ち割る。その武略と凄絶の太刀は「第一に天の時,第二に地の利,天地を合せる太刀也,第三至極は一つ太刀」(『同』)とある。近江の矢走の渡し舟で無法の荒武者を小島に置き去りにした話が武略を物語る。新当流の称は後人の作。元亀2(1571)年に没したとする説もあるが不詳。

(早乙女貢)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

つかはらぼくでん【塚原卜伝】

1489‐1571(延徳1‐元亀2)
戦国時代の剣客。新当流の流祖。字は高幹(たかもと)。常陸国(茨城県)鹿島神宮の祝部(はふりべ)である卜部覚賢(うらべあきたか)の次男として生まれた。その生涯については不明の点も多いが,卜部家には鹿島の太刀の秘伝が伝わり,卜伝が養子となった塚原家は天真正伝神道流が伝えられていたといわれ,卜伝はこの二つの流れを学び,鹿島神宮に参籠して,〈一の太刀〉という極意を感得して新当流を起こした。卜伝は多数の門人を従えて諸国を武者修行し,将軍足利義輝の師として京都に一時滞在したともいわれる。

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大辞林 第三版の解説

つかはらぼくでん【塚原卜伝】

1489~1571) 戦国時代の剣客。新当流の祖。常陸塚原の人。名は高幹たかもと。土佐入道とも。飯篠いいざさ長威斎に刀法を学び、諸国を歴遊。足利義輝・北畠具教とものりの師範をつとめたという。生没年未詳。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

塚原卜伝
つかはらぼくでん
(1489―1571)

室町末期の剣豪で、新当(しんとう)流(鹿島(かしま)新当流、卜伝流、墳原(つかはら)卜伝流など)の祖。卜伝の伝記は巷説(こうせつ)が多く明らかではないが、常陸大掾(ひたちだいじょう)鹿島家の四宿老(しゅくろう)の一つで、鹿島社(鹿島神宮)の祠官(しかん)、卜部(うらべ)(吉川(よしかわ))覚賢(かくけん)の二男に生まれ、初名朝孝(ともたか)、幼くして塚原(茨城県鹿嶋(かしま)市)の小領主塚原土佐守(かみ)安幹(やすもと)に養われ、長じて新左衛門尉(しんざえもんのじょう)高幹(たかもと)といい、のち卜伝斎(ぼくでんさい)、土佐入道と称した。少年のころから剣を好み、父から家伝の鹿島中古流を、ついで養父から飯篠長威斎(いいざさちょういさい)の天真正伝神道(てんしんしょうでんしんとう)流を学び、さらに廻国(かいこく)修行を重ねて剣名をあげた。1512年(永正9)、このころから鹿島一族の内訌(ないこう)が激化し、1523年(大永3)卜伝35歳のとき高天原の合戦となり、卜伝も奮戦して高名の首21ほかの戦功をあげた。その後、卜伝はもっぱら剣術の修行に打ち込み、鹿島社に参籠(さんろう)して兵法の奥儀を開眼し、極意を「一(ひとつ)の太刀(たち)」と名づけ(杉本政信の創案とする異説もある)、流名を新当流と唱え、多数の門弟を率いて諸国を歴遊し、もっぱらその弘布(こうふ)に努めた。『甲陽軍鑑』によれば、一行の総勢、上下80人を召し連れ、大鷹(たか)三疋(びき)を据えさせ、馬三頭を引かせて威光を示し、華美にふるまったという。その足跡は西国に及んだが、甲州武田氏の家臣、山本勘介(かんすけ)らに教授したのをはじめ、伊勢(いせ)の国司北畠具教(きたばたけとものり)に一の太刀を伝授し、京都に上っては、将軍足利義輝(あしかがよしてる)や細川藤孝(ふじたか)らの大名に刀槍(とうそう)の術を指南したという。
 晩年は郷里に帰って隠棲(いんせい)し、1556年(弘治2)養子彦四郎幹秀(ひこしろうもとひで)を迎え、1571年(元亀2)2月、高弟松岡兵庫助則方(まつおかひょうごのすけのりかた)の屋敷で、83歳の波瀾(はらん)に富んだ一生を閉じたという。法号は宝剣高珍居士(ほうけんこうちんこじ)、墓は旧塚原城に近い梅香寺(ばいこうじ)跡にある。なお松岡兵庫助は、1603年(慶長8)ころ、徳川家康の招きで江戸に出府し、秘伝の一の太刀を伝授して感賞を受け、新当流の正統を保持すべきの黒印状を与えられた。江戸で松岡の伝を広めた大高弟として、甲頭刑部少輔(かぶとぎょうぶしょうゆう)と多田右馬助(うまのすけ)の両名が有名である。[渡邉一郎]

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世界大百科事典内の塚原卜伝の言及

【鹿島神宮】より

…武士の当社への信仰は室町・戦国時代にも変わらなかったし,要石(かなめいし),息栖(いきす)神社(摂社)の男瓶・女瓶などの伝承も生まれ霊験縁起の原型が形成された。武神であるので武道の場となり塚原土佐守は天真正伝神道流を学び,その孫養子(養子ともいわれる)の塚原卜伝(ぼくでん)は鹿島新当流の祖となった。1595年(文禄4)豊臣秀吉は常陸の検地を実施し,神官,供僧分として405石を認めた。…

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