宮下原遺跡
みやしもはらいせき
[現在地名]六日町宮村下新田
魚野川の支流三国川と五十沢川に挟まれた沖積谷平野の標高一九〇メートルにある。両河川河床との比高一・二メートルの微高地で、遺構は氾濫によって壊滅した跡がうかがわれた。昭和五四年(一九七九)五十沢西小学校プール建設に伴って行われた調査によって、黒土層に敷石住居跡、埋甕一六個体を含む住居跡一二、土器・石器が大量に検出された。石器は打製・磨製石斧、掻器などや大量の磨石で扁平楕円形・扁平円盤形・球形・卵形・棒状形・石斧形の六形式六九〇個余を検出し、従来凹石とされる打痕や表裏対照の凹部、多孔不規則性のものを含む。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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