朝日日本歴史人物事典 「宮城彦助」の解説
宮城彦助
生年:文化10(1813)
幕末の長州(萩)藩の奇兵隊士。名は御楯,書室の号として夜雨草庵,彦助は通称。長州藩八組士の子として平安古(萩市)に生まれた。禄高500石。国学を修め,和歌を学んだ。文久3(1863)年,中山忠光の長州藩潜伏に従い,次いで下関に随行。同年5月には対外国船砲撃に参加した。6月奇兵隊に入隊。奇兵隊は士庶混交の有志隊である。武士だけの先鋒隊はこれに反発,外国船砲撃の件で侮辱を受けたとして,宮城の宿舎を襲うと威嚇した。それにより奇兵隊士が先鋒隊屯所の教法寺に押しかけた教法寺事件が発生。藩庁は,事を穏便に収めるため宮城に切腹を命じた。
(三宅紹宣)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報