日本大百科全書(ニッポニカ) 「グリュックスボー朝」の意味・わかりやすい解説
グリュックスボー朝
ぐりゅっくすぼーちょう
Glücksburgske Linie
1863年以来のデンマークの王朝。オレンボー朝(1448~1863)の一分家。オレンボー朝フレゼリク7世Frederik Ⅶ(1808―1863、在位1848~1863)が1863年嗣子(しし)のないまま没し、ロンドン条約(1852)に基づいてグリュックスボー家のクリスティアン公が王位を継承して当王朝の開祖となる。彼は妃ルイーセLouise af Hessen-Kassel(1817―1898)がフレゼリク7世の従妹(いとこ)であったことにより王位を継ぎ、クリスティアン9世Christian Ⅸ(1818―1906、在位1863~1906)を名のった。長男はフレゼリク8世(1843―1912、在位1906~1912)で、長女アレクサンドラAlexandra(1844―1925)は後のイギリス王エドワード7世に嫁ぎ、二男ウィルヘルムはギリシア王位につき、ゲオルギウス1世Georgios Ⅰ(1845―1913、在位1863~1913)を名のる。また、二女ダウマーDagmar(1847―1928)はロシア皇帝アレクサンドル3世に嫁ぎ、王家としての名は高い。ちなみに、フレゼリク8世の二男カールは、1905年ノルウェーのスウェーデンからの独立に際しホーコン7世Håkon Ⅶ(1872―1957、在位1905~1957)としてノルウェーの王位についた。1953年の憲法改正に際して、1665年の王法以来の「女系」継承権の容認をさらに進めて「女性」継承権を確立し、現在のデンマーク女王マルグレーテ2世Margrethe Ⅱ(1940― 、1972即位)の王位継承への道を開いた。
[村井誠人]