日本大百科全書(ニッポニカ) 「オレンボー朝」の意味・わかりやすい解説
オレンボー朝
おれんぼーちょう
Oldenborgske Linie
1448~1863年のデンマーク・ノルウェーの王朝(ノルウェーでは1814年まで)。11世紀に発するドイツ・オルデンブルクOldenburg伯爵家のクリスティアン1世Christian Ⅰ(1426―1481、デンマーク王(在位1448~1481)、ノルウェー王(在位1450~1481)、スウェーデン王(在位1457~1471))が1448年にデンマーク王に推戴(すいたい)され、オレンボー朝の開祖となる。2人の息子ハンスHans(1455―1513、在位1481~1513)およびフレゼリク1世Frederik Ⅰ(1471―1533、在位1523~1533)から2系統の王家が発する。前者はクリスティアン2世(1481―1559、デンマーク・ノルウェー王(在位1513~1523)、スウェーデン王(在位1520~1523))の死によって断絶し、後者はフレゼリク6世(在位1808~1839)まで長子相続が続く。クリスティアン3世(1503―1559、在位1534~1559)は弟のアドルフ(1526―1586)とスリースウィ(シュレスウィヒ)とホルシュタインの諸領を分割し、アドルフからはゴトープ家が発する。フレゼリク2世(1534―1588、在位1559~1588)の弟ハンス(1545―1622)からはグリュックスボー家(旧家)、アウグステンブルク家が派生した。フレゼリク6世の叔父でありクリスティアン7世(1749―1808、在位1766~1808)の弟であるフレゼリク皇太子(1753―1805)の嗣子(しし)がクリスティアン8世(1786―1848、在位1839~1848)としてフレゼリク6世のあとに即位し、その子フレゼリク7世(1808―1863、在位1848~1863)を最後にオレンボー家は断絶した。デンマーク王家は、フレゼリク7世の従妹(いとこ)にあたるヘッセン・カッセル家のルイーセLouise af Hessen-Kassel(1817―1898)の配偶者、グリュックスボー家(新家)のクリスティアン(クリスティアン9世。1818―1906、在位1863~1906)によって受け継がれグリュックスボー朝へ移行する。
[村井誠人]