日本大百科全書(ニッポニカ)「速記」の解説
速記
そっき
演説や談話として話されることばを特別の記号で記録し、のちにそれを普通文字に書き直す仕事。その特別の記号の体系を速記方式という。どのような立場で用いるかにより、記録速記と口述速記に大別される。記録速記は、国会、地方議会、裁判、会議、あるいは講演、演説、説教、対談、座談会などで速記録を作成するもので、話し手が速記者以外の人に向かって話すのを傍聴して記録する、速記本来の形である。また、話し手が直接速記者に向かって話すのを速記するのが口述速記で、電話通信による受稿、談話の形による取材、著述の補佐、往復文書の作成などがこれに含まれる。速記者の用いる速記方式の記号は、普通文字にかわるスピード文字ともなり、筆記能率をあげることができる。これに習熟すれば、ノートやメモなど広く日常の文字生活に用いても効果があり、執筆の際の草稿作成なども考えのほとばしるままに書き留めることができ、きわめて好都合である。
普通文字では話す速度に追い付けないため、簡単な記号を用いることは、古くギリシア時代から行われていた。近代速記方式は16世紀末の英語速記方式ブライト式(Timothy Bright創案)に始まり、やがて1837年に、覚えやすいピットマン式(Isaac Pitman創案)が発表されて、大いに普及した。アメリカでは1888年に創案されたグレッグ式(John Robert Gregg創案)が現在も広く行われている。なお、このような線を書く方式(記線速記方式)のほかに、タイプライターのような機械を用いる方式(印字速記方式)がある。アメリカで普及しているステノタイプ(Ward Stone Ireland創案)がそれで、1911年に始まる。
日本の速記は、1882年(明治15)10月28日に田鎖綱紀(たぐさりこうき)(1854―1938)がピットマン系の方式を翻案して東京で講習会を開いたのに始まる。この田鎖式の講習会から、日本最初の速記者若林玵蔵(かんぞう)らが出て実務を行ったため、10月28日を速記発表記念日として祝うことになった。その後、速記方式としても改良が進められ、1906年(明治39)には熊崎(くまざき)式(熊崎健一郎(けんいちろう)創案)、1914年(大正3)には中根(なかね)式(中根正親(まさちか)創案)、1930年(昭和5)には早稲田(わせだ)式(川口渉(わたる)創案)などが次々と発表され、それぞれが普及した。また、1918年(大正7)に開設された貴衆両院の各速記者養成機関(後の参議院速記者養成所、衆議院速記者養成所)は、それぞれ田鎖系の速記方式を用いて出発したが、しだいに改良されて、現在の参議院式、衆議院式に至っている。なお印字速記方式としては、1944年(昭和19)に特許を受けたソクタイプ(川上晃(あきら)創案)があり、最高裁判所書記官研修所に採用され、主として裁判所速記官の用いるところとなっている。衆議院速記者養成所、参議院速記者養成所は、各機関の速記者養成を目標としたものであったが、2006年(平成18)に閉所された。現在職業速記者となるためには、中根式や早稲田式等の学校があり、また独習書が発行されたり、通信講義も行われている。
速記の学習にあたって基本となるのは五十音表を構成する基本文字であるが、ほかに拗音(ようおん)文字や濁音、長音、ン、ッ、などの表し方がある。また、イ、ク、ツ、ルなどのつく二音文字や助詞、助動詞の表し方もあり、そのほかよく用いられる語は簡略な略字の形となっている。これらをひととおり覚えるのに2、3か月はかかるが、学習を始めて6か月ぐらいで検定試験の5級に合格するのが普通である。そのあと3級合格までは6か月ほどで、だれでも進むことができる。順調にいけばさらに1年ほどで1級に合格することができるが、職業速記者となるためには、それぞれの職場や速記事務所で実習を積むことが必要である。とくに日本語の場合、他の言語に比べて同音異義語が多いために、話されることばを正しく聴き取ってそれを正確に普通文字に書き直すという速記の仕事は、とりわけむずかしいとされている。
[武部良明]