20世紀日本人名事典 「宮崎郁雨」の解説 宮崎 郁雨ミヤザキ イクウ 明治〜昭和期の歌人 生年明治18(1885)年4月5日 没年昭和37(1962)年3月29日 出生地新潟県 本名宮崎 大四郎(ミヤザキ ダイシロウ) 学歴〔年〕函館商業卒 主な受賞名〔年〕函館市文化賞〔昭和33年〕 経歴明治40年函館に移り、石川啄木と相知る。啄木夫人の妹と結婚し、啄木没後は函館啄木会、啄木文庫の設置、啄木一族の墓所設定に尽力する。大正12年味噌製造の家業を継ぎ、また社会事業にも尽くす。著書に「函館の砂―啄木の歌と私と」「郁雨歌集」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮崎郁雨」の解説 宮崎郁雨 みやざき-いくう 1885-1962 明治-昭和時代の歌人。明治18年4月5日生まれ。家は函館の味噌醤油(しょうゆ)醸造元。苜蓿(もくしゅく)社同人となり,明治40年北海道にきた石川啄木を知る。啄木の妻の妹と結婚し,物心両面から啄木を援助した。昭和37年3月29日死去。76歳。新潟県出身。函館商業卒。本名は大四郎。歌集に「郁雨歌集」,著作に「函館の砂」など。【格言など】唯一のわれの遺業となるならん啄木の墓を撫でてさびしむ(「郁雨歌集」) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by