函館(読み)ハコダテ

デジタル大辞泉 「函館」の意味・読み・例文・類語

はこだて【函館】

北海道南西部の市。津軽海峡に面する。渡島おしま総合振興局所在地。もと江戸幕府直轄領。安政元年(1854)開港。かつて青函連絡船が通じる北海道の表玄関であり、また北洋漁業の基地として発展した。ハリストス正教会・トラピスチヌ修道院・五稜郭ごりょうかく・啄木公園などがある。もと箱館と書いたが明治になり改められた。人口27.9万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「函館」の意味・読み・例文・類語

はこだて【函館】

  1. [ 一 ] ( 戦国時代、領主河野政道が築いた館の形が箱に似ているところから呼ばれたと伝えられる。箱館と書かれていたが、明治二年(一八六九)箱館戦争後、現在の表記に改められた ) 北海道南西部の地名。渡島(おしま)半島の南部にあり、津軽海峡を隔てて青森県に対する。寛保元年(一七四一)松前藩の番所が置かれて以来、港町として急速に発展。のち幕府の直轄地となり、箱館奉行が置かれた。青森と結ぶ青函連絡航路の発着地として知られたが、青函トンネルの開通に伴い、連絡船は昭和六三年(一九八八)廃止。北海道の玄関口にあたる。また、かつては北洋漁業の基地として栄え、現在も水産加工・造船などの工業が盛ん。大正一一年(一九二二)市制。
  2. [ 二 ] 明治一五年(一八八二)開拓使の廃止により北海道に設置された三県の一つ。渡島国と後志(しりべし)・胆振(いぶり)国の一部とを管轄した。同一九年北海道庁に統合。

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日本歴史地名大系 「函館」の解説

函館
はこだて

明治二年(一八六九)から同三二年までの地名で、近世の箱館町を継承する函館市街の総称名。明治二年八月の北海道国郡制定で、箱館町は渡島国亀田かめだ郡に属した。同年九月二五日開拓使二代長官東久世通禧は、イギリス商船テールス号で箱館湊に入港、同月三〇日には箱館府(箱館県)裁判所を開拓使出張所と改称した。この時、箱館の用字を函館と改めている。ただし明治九年四月の伺書(公文録)によると、この時点で開拓使函館支庁では函館の用字に統一しているが、他官省からの文書や「太政官日誌」などでは箱館の混用があることが指摘されており、開拓使東京出張所は改めて函館の用字が正しいことを確認している。当地の開拓使出張所は明治四年の開拓使庁の札幌庁舎移転を機に、同年五月に函館出張開拓使庁と改め、翌五年九月には函館支庁と改称している。

明治四年の函館の戸口は三千五二五戸、一万五千四五人、うち男七千一九三・女七千八五二(明治四年渡島統計)。近世末期の箱館での戸口把握は人別改を基に行われ、その際の区画は、おお町・内澗うちま町・弁天べんてん町・地蔵じぞう町・大黒だいこく町・山ノ上やまのうえ町・尻沢辺しりさわべ町・たなごま町・なか町・神明しんめい町の一〇町が基本で、これに統計上では一町として扱われることもある大工だいく町を加えた一一町が公的に認められた町であった。史料にはこの一一町以外の天神てんじん町・梅ヶ枝うめがえ町・花谷はなや町・芝居しばい町・茶屋ちやや町など多くの町名が確認されるが、これらは小名とされた町で(「蝦夷日誌」一編)、町に準ずるものとの位置付けであった。明治四年四月に公布された戸籍法に基づく戸籍区の設定は、北海道では函館市街が先行、同五年二月に戸籍区三区を設定(のち小区を導入して大小区とする)、それまでの大年寄・中年寄・町代を廃止して、戸長・副戸長とした。この折戸籍区の第一区は函館山の裾を巡る地区とし、常盤ときわ町・茶屋町・鍛冶かじ町・三町さんちよう代地・会所かいしよ町・尻沢辺町・てら町・芝居町・さか町・駒止こまどめ町・山背泊やませどまり町・上大工町・花谷町・かた町・弁天町べんてんちよう代地・だい町・代地竪通だいちたてどおり・下大工町・天神町・梅ヶ枝町・山ノ上町・大町上通おおまちかみどおり上新かみしん町・下新町・神明横しんめいよこ町・新天神町・はま町の二七町を設定、第二区は弁天町から内澗町までの海岸線とその裏町(大黒町ほか)の地区で、澗町・鰭横ひれよこ町・弁天町・西浜にしはま町・大黒町・大町・仲浜なかはま町・内澗町・東浜町・神明町・仲町・喜楽きらく町・七軒しちけん町の一三町を設定、第三区は地蔵町から北東へ広がる新興地区で、地蔵町・鶴岡つるおか町・一本木いつぽんぎ町・豊川とよかわ町・龍神りゆうじん町・西川にしかわ町・蓬莱ほうらい町・古築島ふるつきしま町・蔵前くらまえ通・大森おおもり町・東川ひがしかわ町・亀若かめわか町・恵比須えびす町の一三町を設定した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「函館」の意味・わかりやすい解説

函館(市)
はこだて

北海道南西部にある市。渡島(おしま)半島の南東部にあたる亀田(かめだ)半島に位置し、南は津軽海峡に臨み、西には函館湾をいだく。道南の政治、経済、文化の中心地であり、渡島総合振興局が置かれている。初めウスケシ(アイヌ語で湾の端の意)とよばれていたが、1454年(享徳3)ごろ小豪族河野政通(まさみち)が函館山山麓(さんろく)に築いた館(やかた)が箱の形にみえたところから箱館(はこだて)とよばれるようになったという。1922年(大正11)市制施行。1939年(昭和14)湯川(ゆのかわ)町、1966年銭亀沢(ぜにかめざわ)村、1973年亀田市を編入。2004年(平成16)渡島支庁(現、渡島総合振興局)管内の戸井町(といちょう)、恵山町(えさんちょう)、南茅部町(みなみかやべちょう)、椴法華(とどほっけ)を編入。2005年中核市となる。北海道の南の玄関口にあたり、函館港、函館空港があり、函館駅はJR函館本線の、五稜郭(ごりょうかく)駅は道南いさりび鉄道線の起点。国道5号、227号、228号、278号、279号が通じ、函館新道と函館江差(えさし)自動車道の函館インターチェンジがある。中心市街地には市電(路面電車)が通る。1988年(昭和63)青函(せいかん)トンネルが完成、青森と鉄道により直結した。青函連絡船は廃止されたが、複数のフェリーが函館港と青森港間、大間(おおま)港(青森県)間に就航。函館空港は東京、大阪、名古屋、札幌、奥尻、台北(タイペイ)などとの間に定期便が就航。中西部は袴腰岳(はかまごしだけ)、標津岳(しべつだけ)山麓の洪積台地で、南西部の津軽海峡に突き出た函館山との間の砂州上に中心市街地がある。砂州は亀田川などから排出された土砂が堆積(たいせき)し、また土地の隆起などで陸繋(りくけい)化したもの。陸繋部西側の函館港は水深の大きい天然の良港である。東部は山地や丘陵地が多く、東端の恵山岬には恵山(618メートル)がある。汐首(しおくび)岬、日浦(ひうら)海岸、武井(むい)の島など海岸一帯は恵山道立自然公園域。気候は海洋性で、対馬(つしま)海流の影響で道内では温暖であり、年平均気温は9.1℃(1981~2010)。

[瀬川秀良]

歴史

松前(まつまえ)藩領時代に亀田番所が置かれ、1802年(享和2)には幕府の箱館奉行(ぶぎょう)が設けられた。1854年(安政1)下田(しもだ)とともに日本最初の開港場となり、1859年には横浜、長崎などとともに貿易港に指定され、アメリカ、イギリス、ロシアの領事館が置かれた。1868年(明治1)箱館戦争が起きたが翌年榎本武揚(えのもとたけあき)らの降服で終わり、同年北海道開拓使出張所が置かれ、箱館は函館に改められた。1872年出張所は支庁となった。1908年(明治41)青函航路が開設され、大正時代に入ると北洋漁業の基地として発展が目覚ましく、海産物の輸出が盛んに行われた。1935年(昭和10)ごろまでの人口は道内一で札幌をしのいだ。この間、1878年、1879年、1907年、1921年、1934年の5回にわたって大火にみまわれ、とくに1934年には市の半分を焼失し、焼失家屋2万4000戸、死者2000人を数えた。太平洋戦争末期の1945年(昭和20)にはアメリカ軍の空襲を受け、400戸が焼失した。戦後の1952年には北洋漁業が再開されたが、現在漁獲制限など困難な問題を抱えている。

[瀬川秀良]

産業

屈曲に富む海岸には天然の良港が多く、漁業が主産業。第二次世界大戦前はイワシやマグロ漁が盛んであった。現在はイカ漁が中心で、コンブ、ワカメなどの海藻類、カレイ、ホッケ、サケ、スケトウダラなどの水揚げもあり、水産加工業も盛んである。1980年代以降はコンブ養殖、アワビ中間育成、ウニ種苗生産、ヒラメなどの魚類放流事業など栽培漁業への転換も進めている。白口浜(しろくちはま)のマコンブは良質で知られ、またマグロ大謀網(だいぼうあみ)漁業発祥の地といわれる。農業は函館平野を中心に米作、ジャガイモ、ダイコン、ニンジン、シイタケ栽培などが行われる。

 工業は、1897年に設置された函館船渠(せんきょ)(現、函館どつく)などがあり、造船業が盛んであったが、現在は不振。函館湾東岸は臨海工業地域で、水産加工、機械器具などの工場が立地する。製造品出荷額は食料品が全体の約半分を占め、ほかに飲料、飼料、たばこ製造、輸送用機器、一般機器、出版・印刷などがある。かつて函館市の商圏は全道に及んだが、現在では後退し渡島総合振興局管内を中心としている。市の中心商店街は函館駅前の若松地区、松風(まつかぜ)地区と、五稜郭駅前の亀田本町で、デパートや銀行、商店が軒を連ねる。なお、1984年函館テクノポリス開発計画が国に承認され、函館臨空工業団地、函館テクノパーク、テクノポリス函館上磯(かみいそ)工業団地などを造成、研究施設や先端技術産業の誘致を図った。

 また、観光資源や自然にも恵まれ、観光産業が盛んである。

[瀬川秀良]

文化・観光

中心市街地には西欧文化の影響を受けた歴史的建造物が多く残る。函館山山麓は山の手とよばれ、洋風建造物や外国人墓地などに開港当時の名残(なごり)をよくとどめている。ハリストス正教会は1860年(万延1)にロシア領事館付属聖堂として創建され、ビザンティン風の現在の建物(国の重要文化財)は1916年(大正5)に再建されたもの。旧函館区公会堂(1910年造、国の重要文化財)、旧ロシア領事館、旧イギリス領事館(開港記念館)、中華会館、カトリック元町教会、旧北海道庁函館支庁庁舎(函館市写真歴史館)などの洋風建築、真宗大谷派函館別院(国の重要文化財)、高龍寺(こうりゅうじ)などの社寺、太刀川家住宅店舗(たちかわけじゅうたくてんぽ)(1901年造、国の重要文化財)などの商店があり、旧金森洋物店は市立博物館郷土資料館に改造され、明治時代の生活用品などを展示する。ほかに函館市文学館(旧、第一銀行函館支店)、市立函館博物館、函館市北方民族資料館などがある。なお、函館港から山の手にかけての町並は「函館市元町末広町」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

 1864年(元治1)建造の五稜郭(国の特別史跡)は日本最初の洋式城郭跡。榎本武揚らがこの城にこもって新政府軍と戦った。五稜郭と同じ洋式城郭の四稜郭(しりょうかく)は国の史跡に指定されている。函館八幡宮(はちまんぐう)に近い地に碧血碑(へきけつひ)があり箱館戦争の幕府軍の戦死者が埋葬される。南部の海岸沿いの丘陵地には、1500年ごろの小豪族の砦(とりで)であった志苔館跡(しのりだてあと)(国の史跡)がある。旧岩船氏庭園(香雪園)は国の名勝。そのほか、国指定重要文化財として、高野寺の木造大日如来(だいにちにょらい)坐像、旧遺愛女学校宣教師館、北海道志海苔中世遺構出土銭(しのりちゅうせいいこうしゅつどせん)(函館博物館蔵)があり、国の重要有形民俗文化財として、アイヌの生活用具コレクション(北方民族資料館蔵)がある。上湯川(かみゆのかわ)町のトラピスチヌ修道院は、1898年に創立されたシトー会に属する女子修道院である。

 函館山へはロープウェーが通じ、頂上からは函館市街や函館港を一望でき、とくに夜景で知られる。函館山東側の立待岬(たちまちみさき)には与謝野鉄幹(よさのてっかん)・晶子(あきこ)夫妻の歌碑が立ち、大森浜の啄木(たくぼく)小公園には石川啄木の座像がある。函館空港と中心市街地の間に位置する湯の川温泉は、交通の便もよく函館観光の基地となっており、近くには函館競馬場がある。

 東部に広がる恵山道立自然公園域も観光客が多い。国民保養温泉地に指定されている恵山温泉郷や水無(みずなし)海浜温泉、川汲(かっくみ)、磯谷(いそや)、大船(おおふね)などの各温泉がある。恵山南西麓にある続縄文文化遺跡の恵山貝塚など、縄文時代の遺跡が多い。大船遺跡は国指定史跡、著保内野遺跡(チョボナイノいせき)出土の「中空土偶(ちゅうくうどぐう)」は国宝に指定されている。川汲公園はサクラの名所。台場山は箱館戦争の際に幕府軍が砲台を築いた場所である。面積677.87平方キロメートル、人口25万1084(2020)。

[瀬川秀良]

〔世界遺産の登録〕2021年(令和3)、大船遺跡はユネスコ(国連教育科学文化機関)により「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産として世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。

[編集部 2022年1月21日]

『『函館区史』復刻版(1973・名著出版)』『『函館市史 通説編』(1980・函館市)』『『函館市史 通説編』第2巻(1990・函館市)』


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改訂新版 世界大百科事典 「函館」の意味・わかりやすい解説

函館[市] (はこだて)

北海道南部,渡島(おしま)半島南東端を占める市。2004年12月旧函館市が東に接する恵山(えさん),戸井(とい),南茅部(みなみかやべ)の3町と椴法華(とどほつけ)村を編入して成立した。人口27万9127(2010)。

函館市東部の旧町。渡島支庁の旧亀田郡所属。1985年4月,尻岸内町が改称。人口4624(2000)。亀田半島南端に位置し,津軽海峡に臨む。旧地名尻岸内はアイヌ語に由来するといわれる。1720年(享保5)陸奥国南部地方からの移民が定住したのが始まりと伝えられ,幕末にはすでに戸数182戸を数える漁村として発展していた。現在も基幹産業は漁業で,その就業者は全就業者の32%(1990)を占めている。コンブ,イカ,ホッケなどの漁獲高が多い。しかし近年は沿岸漁業の不振から出稼者が増加し,出稼専業地域の様相を呈している。恵山道立自然公園の一部を占め,活火山の恵山(618m),日浦海岸などの観光にも力を入れている。

函館市南端の旧町。渡島支庁の旧亀田郡所属。人口3893(2000)。津軽海峡に面し,旧函館市に隣接する。地盤の弱い山地が海岸に迫り,豪雨のたびに地すべりの被害が出る。江戸時代,松前藩東蝦夷六場所(交易所)の一つとして繁栄したが,早くからニシンは姿を消し,イワシの来遊も昭和の初めごろにみられなくなった。沿岸漁業の不振から出稼ぎ地帯となっている。漁獲高の多いものは,コンブ,イカなどである。恵山道立自然公園に含まれ,柱状節理の絶壁や奇岩の多い海岸線の続く日浦海岸や,下北半島突端の大間崎と向かい合う汐首(しおくび)岬,武井(むい)ノ島などの景勝地がある。国道278号線が通じる。

函館市東端の旧村。渡島支庁の旧亀田郡所属。人口1586(2000)。地名はアイヌ語の〈トゥ・ポ・ケ(山の走り根の・下の・所)〉に由来。東端の恵山岬が太平洋に突き出し,活火山恵山,丸山(691m)などが隣接する旧恵山町との境にある。山林が村域の大部分を占め,山地が迫る海岸沿いに集落が散在する。中心は八幡町(はちまんちよう)で,函館へ国道278号線が通じる。恵山漁場が近くにあり,イカ,マグロ,タラ,ブリなど魚種も豊富で,豊かな漁村として発達した。近年は資源の涸渇から衰退の傾向にあるが,なお漁業就業者が全就業者の7割近く(1990)を占めている。恵山岬は太平洋の眺望にすぐれ,水無(みずなし)海浜温泉があり,恵山登山基地となっている。

函館市中西部の旧市。1922年市制。73年北に接する亀田市(1971市制)を編入。人口28万7637(2000)。古くは箱館と書き,1869年(明治2)函館と改称。津軽海峡を隔てて青森市と相対する。市域東部は山地,西部は函館平野からなり,市街地は南端の函館山山麓から砂州上に扇形に広がり,西に函館湾を抱く。1988年4月まで青函連絡船が出入りしていた北海道の表玄関であり,JR函館本線の起点で江差線が分岐し,国道5号,227号,228号,278号線などが通じ,函館空港もある。函館港は,その形から巴(ともえ)港とも呼ばれる天然の良港で,幕末の開港後は貿易港として発展し,外国船の出入りも多く,アメリカ,イギリス,ロシアなどの領事館も設置された。1869年政府は北海道開拓使出張所を置き,開拓使札幌本庁開設までの拠点とした。その後1908年の青函連絡船の就航により海運業,陸運業が発達,物資の集散地,本州・北海道連絡の拠点,また千島,カムチャツカなど北洋漁業の基地として発展し,昭和初年には北海道最大の都市となった。34年には大火に見舞われたが,短期間に復興した。第2次大戦後は北洋漁業の操業停止などにより衰退し,経済の中心は札幌へ移った。現在は水産加工業,飲料・飼料・タバコ製造業を主産業とし,造船はかつての隆盛にはない。

 明治期の洋風建築,旧函館区公会堂(重要文化財),開港場商家の太刀川家住宅店舗(重要文化財)をはじめ,市街地北部に五稜郭跡(特史),西部には銭甕(ぜにがめ)の出土で知られる中世の志苔館(志濃里館)(しのりたて)跡(史),湯ノ川温泉,トラピスチヌ修道院がある。
執筆者:

アイヌ語で〈ウ〉,〈ウショケシ〉(いずれも湾の端の意)と呼ばれ,記録には宇須岸,臼岸などとある。15世紀の半ばころ河野政通が築いた館の形が箱に似ていたことから箱館と称されたという。このころには若狭地方とのコンブ交易を通じて経済的な発展をみたが,1512年(永正9)アイヌの攻撃を受けて以来一時閑村と化した。しかし,17世紀末以降コンブ採取の発展や汐首岬以遠への出漁者の増加に伴い,近在や内浦湾沿岸部の産物の集荷地として急速に成長し,1741年(寛保1)松前藩の東部支配の拠点である亀田番所が当地に移転してからは東部地域の中心的な港町として,松前,江差とともに松前三湊に数えられた。

 99年(寛政11)の江戸幕府による東蝦夷地の直轄を契機として1802年(享和2)箱館奉行(のちの松前奉行)が置かれ,以後東蝦夷地産物の集荷地として栄えたが,21年(文政4)松前藩復領後は,場所請負人の多くが福山城下(現,松前町)居住の商人となったことから一時その勢いは鈍った。しかし54年(安政1)の日米和親条約により翌年の開港が決定され,同年,再び幕府直轄となって箱館奉行が置かれ,59年以後貿易港として急速に発展した。68-69年には戊辰戦争の最後の舞台となった(五稜郭の戦)。
執筆者:

函館市北東部の旧町。渡島支庁の旧茅部郡所属。人口7571(2000)。亀田半島の北東部に位置し,町域は海岸線に沿って起伏する丘陵地からなる。沿岸部には小湾が多く,臼尻,川汲(かつくみ),尾札部(おさつべ)などは天然の良港をなす。中心集落はほぼ中央の川汲で,国道278号線が通り,西に接する旧函館市へ向かう道路を分岐する。松前藩時代には尾札部場所があり,漁場として開発され,特にコンブの産地として知られた。また北海道でのマグロの大謀網漁業発祥の地でもある。現在も就業人口の約60%(1990)が漁業に従事し,漁獲物の半分近くを占めるコンブをはじめ,サケ,イワシ,サバなどを産し,近年はコンブの養殖も行われる。町域の一部は恵山道立自然公園に含まれ,絶壁とハイマツの緑が美しい木直(きなおし)海岸,古部の滝,川汲温泉(単純泉,45~50℃),磯谷(いそや)温泉(含食塩ボウ硝泉,68~70℃)などがある。また函館平野や内浦湾を望む川汲峠付近には箱館戦争の川汲台場砲塁の跡がある。
執筆者:

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旺文社日本史事典 三訂版 「函館」の解説

函館
はこだて

北海道渡島 (おしま) 半島南部,津軽海峡に面する商工業都市
1869年以前は「箱館」と書く。江戸時代に松前藩が置かれ,その支配と幕府の箱館奉行所支配との時期があったが,1854年日米和親条約による開港の翌年から幕府直轄領となった。戊辰 (ぼしん) 戦争の際,榎本武揚 (えのもとたけあき) が五稜郭に籠城して官軍に抵抗した(五稜郭の戦い)。1922年市制施行。

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世界大百科事典(旧版)内の函館の言及

【北海道】より

…一方,松前(福山)藩は69年館藩と改称,71年の廃藩置県を経て弘前県(後に青森県と改称)に併合されたが,72年開拓使に移管された。82年開拓使は廃止,北海道にも県制がしかれて札幌,函館,根室の3県となり,開拓関連諸事業は翌年農商務省の北海道事業管理局へ移された。しかしこの3県1局制は成功せず,86年廃されて北海道庁が置かれ,全道を管轄した。…

※「函館」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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