20世紀日本人名事典 「宮川文平」の解説 宮川 文平ミヤカワ ブンペイ 明治・大正期の医師 新潟県議。 生年文久1年5月(1861年) 没年昭和6(1931)年9月17日 出生地越後国柏崎(新潟県) 経歴済生学舎で学び、明治20年医術開業試験に合格。同年静岡眼科病院副院長に就任したが、25年郷里の新潟県柏崎町に帰り眼科医院を開業する。31年弟・久平と助産婦の養成所・柏崎産婆学校を作り、39年私費を投じて中越盲啞学校を創設し自ら校長となって盲啞教育に尽力するなど、官より表彰されること数回に及んだ。地方自治にも関与し、柏崎町議、郡議、新潟県議となり活躍、柏崎築港完成に貢献した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮川文平」の解説 宮川文平 みやかわ-ぶんぺい 1861-1931 明治-大正時代の医師。文久元年5月生まれ。越後(えちご)(新潟県)柏崎町の人。済生学舎でまなび医術開業試験に合格,明治25年郷里で眼科を開業。31年弟久平(きゅうへい)と助産婦の養成所をつくり,39年中越盲唖(もうあ)学校を創設した。県会議員としても活躍。昭和6年9月17日死去。71歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by