地方自治とは地域社会の自治のことであり,個人の自治,集団の自治と同様に,自律autonomyと自己統治self-governmentとの結合形態である。すなわち,ある地域社会がこれを包括する国民国家の主権との関係において一定の自律性を有するとき,その地域社会には団体自治があるという。また,ある地域社会の統治がその構成員である住民の参加と同意にもとづいておこなわれているとき,その地域社会には住民自治が成立しているという。
こうした自律(団体自治)と自己統治(住民自治)とは不即不離の関係にある。この点について,もう少し説明を補うことにしよう。
まず自己統治の側からみると,あらゆる民主主義論が自律的な個人の存在を基礎にして構成されてきたことからも明らかなように,構成員である住民が自律的人格でないところに自己統治はありえないのである。次に自律の側面からみてみよう。地域社会の自律が安定的なものであるためには,なんらかの制度的保障が必要である。すなわち,第1に,自律的領域(自治権の範囲)を画する客観的な法令が制定され,この自治権を侵犯しかねないような他団体の行為が制約されなければならない。第2に,自治権の範囲をめぐって紛争が生じたときには,上記の法令にしたがって裁定する仕組みが確立されていなければならない。そして第3に,他団体によって法令を逸脱した不当な侵犯がなされたときには,これを排除する権利が確立されなければならないのである。では,この自治権の範囲を画する客観的な法令を制定するのは誰か。そして裁定をするのは誰か。もしもこれらが他団体の機関であるとき,ことにこの地域社会を包括する国(中央政府)の機関であるとき,自律は容易に安定しない。自治権の範囲は,中央政府の機関である国会,内閣,各省,裁判所などのそのときどきの恣意(しい)によって変動してしまうおそれがあるからである。そこで,ある地域社会が真に自律的な主体であるためには,この地域社会の住民がより広域的な地域社会の統治にも参加し,さらに国民国家の中央政府の統治にも参加する主体でなければならない。いいかえれば,ある地域社会の住民はみずからの自治権を支える制度保障そのものの形成と運用にも参加し,この過程を統制する権能をもっていなければならないということである。自律はこのような意味において一段高次の自己統治に裏付けられていることを要するのである。自律と自己統治がいわゆる〈権力への自由〉を媒介にして結合され,相乗的な効果を発揮するとき,はじめて有効な自治となる。地方自治は団体自治と住民自治の両要件が充足されたときに成立するといわれているのは,このためである。
ところで,近代的な自治の概念は,歴史的にみれば,王権が貴族,教会,都市などの中世的諸勢力と抗争して,これらの特権を剝奪し,これらを新たな国民国家の集権的な支配に服する部分団体に再編成していった絶対王政の確立過程において,主権の概念との相対的な関係で構成されたものであった。国民国家のもとでも存続することを許された地域社会の自治権は主権の一方的な意思による授権ないし譲歩として理論構成されたのである。しかし,王権と中世的諸勢力との抗争と妥協の様相は各国ごとに異なり,一口に絶対王政期の中央集権体制といっても,その集権の形態と程度には大差があった。そこで,地方自治についても多様な類型が生まれてきたのである。
国ごとに多様な地方自治の形態をあえて単純化して類型化すれば,二大類型に区分することができる。すなわち,一つは,イギリスを母国とし,南ア連邦を除くイギリス連邦諸国とアメリカ合衆国とに波及したアングロ・サクソン型の地方自治であり,もう一つは,フランスを母国とし,ドイツ,イタリア,スペイン,ポルトガル,そして南アメリカ諸国へと波及した大陸型の地方自治である。前者のアングロ・サクソン型の地方自治は,国民国家の形成以前から存在していた地域社会の自治が国民国家の形成過程でもその自律性を保ちつづけ,これが主権の絶対化を事実上制約してきた国々の地方自治である。これらの国々では,法理論上の構成はともかく,自治権を地域社会の固有権のごとくにみる固有説的な観念が根強いといえる。これに対して,後者の大陸型の地方自治は,国民国家の形成過程で中世的諸勢力がいったん解体され,国民国家がその集権的な支配のための地方機構として新たな地域社会を創設した国々の地方自治である。したがって,これらの国々では,自治権は主権の授権に由来するとみる伝来説的な観念が支配的であるといえる。なお,ここで,伝来説について付言しておきたい。絶対王政期には,君主が主権者であり,君主とこれを補佐する常備軍と官僚機構とが中央政府であったから,主権(国家)と中央政府(国)とは未分化であった。それゆえに,自治権は主権の授権より伝来しと言おうと,自治権は中央政府の授権より伝来しと言おうと,同じことであった。だが,国民主権の時代になると,主権(国民)と中央政府(国)とは明確に区別しなければならないのであり,自治権を主権(国民)の授権とみるか,それとも中央政府(国)の授権とみるかは重要な論点となる。この点はともあれ,以下では,アングロ・サクソン型に属するイギリスとアメリカ合衆国,ならびに大陸型に属するフランスとドイツの地方自治の歴史を概観することによって,両類型の差異を検討してみることにしよう。
イギリスには,中世以来,バラborough,カウンティcounty,パリッシュparish(教区),タウンtownといった多様な地域社会が存在した。バラは王ないし封建諸侯が発した憲章によって特権を享受していた自治都市である。カウンティはもっとも広く一般的に存在していた伝統的な地域社会の単位であり,中央政府の地方機構としても活用されていたものである。治安判事といったカウンティの役職者は一時は中央政府の任命職であったが,チューダー王朝期にはすでに選挙職に改められていた。パリッシュは教区であり,タウンは自生的な地域社会であった。1832年の第1次選挙法改正の3年後に最初の都市団体法が制定され,バラの自治形態の画一化が進められた。このころから,救貧委員会をはじめ公衆衛生委員会,教育委員会など,特定目的のための中央政府の地方行政機構が濫設される時代が続いた。そして19世紀末になって,これらの地方行政機構の機能が漸次に自治体に統合され,この動きに並行してカウンティにもバラと同様のカウンシルcouncilが設けられていったのである。1884年の第3次選挙法改正の4年後に制定された地方自治法はすべてのカウンティにカウンシルを設け,1894年の地方自治法はパリッシュにもカウンシルを設置した。イギリスの自治体は伝統的な地域社会を基盤にして徐々に発展してきたものであるため,上述のようにある程度の画一化が進められたとはいえ,依然としてその種類も規模も多様である。また,自治体を統轄する代表機関が立法権と執行権を統合したカウンシルであり,このカウンシルの各委員会が行政各部を指揮監督しているところに,その特徴がある。
アメリカ合衆国の地方団体にはカウンティと都市法人と呼ばれる自治体(シティ,タウン,タウンシップ)とがある。カウンティはほぼ全州の全地域にくまなく設けられており,その法的な地位は州の地方機構であるが,カウンティの役職者は早くから公選職となっており,住民自治の要素が強かった。これに対して,自治体のほうは各州へ全地域にもれなく設立されているわけではない。そして,この自治体の起源をたどると,植民地総督を通じて大英帝国国王から憲章を賦与されていたシティと自生的なタウンないしタウンシップとがあった。これらが独立革命後の自治体となったわけであるが,ここで憲章の性格が一変した。すなわち,かつては国王と都市との契約と考えられ,国王の一方的な意思で改廃することはできないものとされていた憲章が,独立後は州法とみなされ,州議会の一方的意思で任意に改廃できるものと解されるようになったのである。事実,各州はシティの憲章を次々に改正し,シティを閉鎖法人から開放法人に変え,普通平等選挙を実現させていった。また,自治体の組織形態に連邦および州にならった権力分立制を導入して,市議会と市長を分離していった。だが,19世紀後半にいたると,自治体には一党支配のボス政治が横行し,市政は腐敗した。これを理由に,州議会は特別法の手段を濫用して,自治体の自治権を侵すようになった。そこで,19世紀末から20世紀初頭にかけて各地に市政改革運動が勃興した。市政改革は,まず州憲法を改正して,州憲法上に特別法の禁止条項とか自治権保障条項を設けることからはじまり,やがて選択憲章制度,さらには自治憲章制度Home Rule Charter Systemまで保障していくようになったのであった(都市憲章)。
イギリスと比較すると,アメリカ合衆国の自治体の特色は,市議会と市長とを分離し,市長権限を強化してきたこと,この市長・市議会型に加えて,委員会型,カウンシル・マネジャー型など,多様な組織形態を創出したこと,直接立法制をかなり広く導入したこと,そして自治権をめぐる裁判が多く,自治紛争の裁決が司法権にゆだねられていることなどにある。
中世のフランスには,封建諸侯との契約によって特権を享受していた自治都市が存在した。だが,王権による中央集権が進むにつれ,フランスではこれらの自治都市の影が薄れていったのである。ルイ14世とその宰相リシュリューはプロバンスに地方監督官を配置し,区域内の地域社会をその完全なる統制のもとにおいた。1789年の国民議会はプロバンスを廃止したが,これに代えて86の県を設置し,これを官選知事に統轄させた。このとき,多様であった自治体は画一的なコミューンに統一され,このコミューンは合議制の執行機関が統轄するものとされたのである。しかしながら,コミューンの合議制執行機関と中央政府との間に紛争が頻発したため,ナポレオンは,コミューンの統轄機関を独任制に改め,かつこれを官選とした。その後,県およびコミューンに議会を設置するといった若干の民主化がはかられたけれども,フランスの県はその後も中央政府の地方機構であり,官選知事はコミューンの長および議会に対して強力な後見的監督権を留保しつづけてきたのである。コミューンの長は自治体の長であると同時に,また国の機関として中央政府および県からの委任事務を執行する責任を負っている。
中世ドイツにはハンザ同盟などに所属する数多くの自治都市が存在したが,これらは三十年戦争で疲弊し,さらに寡頭制的な門閥間の内紛とギルドの台頭で弱体化していた。シュタインの改革(プロイセン改革)による1808年プロイセン自治法は,閉鎖的な自治都市法人とギルドの選挙を廃止し,市民の平等選挙による地方議会を設け,執行権の長は地方議会による間接選挙(大都市の市長は地方議会が推薦する候補者のなかから国王が任命した)とした。その後,1830年に続く反動化,1848年に続く民主化などの紆余曲折を経たが,1853年自治法では,平等選挙を廃止し三等級選挙制を採用した。また議会に対する市長の権能を強化するとともに,中央政府の監督権を再強化したのであった。そしてこの地方自治制度はワイマール共和国時代にも基本的な変更をみなかったのである。ただ,先のフランスとの対比でいえば,ドイツは連邦制国家であること,また第2次大戦後は占領国であったアメリカ,イギリス,フランスの影響も加わったことなどにより,自治体の種類は多様であり,自治体と自治体の重層構造も複雑である。
さてここで,アングロ・サクソン型と大陸型の特徴を対照的に整理要約してみれば,以下のようになるであろう。まず第1に,アングロ・サクソン型では,バラ,シティなどの自治都市の伝統が継承され,これが地方自治の原型となったのに対して,大陸型ではこの伝統がいったん絶ち切られている。第2に,アングロ・サクソン型の地方自治には自治立法権を伴った分権decentralizationという性格が濃いのに対して,大陸型の地方自治には事務事業の執行を分散するdeconcentrationという性格が濃い。第3に,自治権の範囲の面でも,前者では警察と教育について広く自治体にゆだねているのに対して,後者ではこれらを国ないし州に留保している。第4に,中央政府が自治体を統制する方法の面で,前者は立法による統制と司法による統制を中心にしているのに対して,後者は内務省等の行政による統制を中心にしている。第5に,自治権の範囲の定め方において,前者は自治体の事務権限を具体的に限定して列挙している(制限列挙主義)のに対して,後者は自治体固有の事務について広い権限の推定を与えている(包括授権主義)。この点では,大陸型のほうが多種多様な事務事業を行いうる仕組みになっている。いわば,地方自治の量は大陸型のほうが大きいが,これは地方自治の質とはいちおう別の問題である。また,アングロ・サクソン型が制限列挙主義を採用しているということは,こちらのほうが国と自治体とを峻別(しゆんべつ)し,両者間の事務権限の配分を明確にしているということでもある。そこで第6に,アングロ・サクソン型では,自治権に属さない事務事業については,これを現地で執行するための国(または州)の末端出先機関が創設されざるをえず,基礎的な自治体のレベルでも,自治体と国の末端出先機関とが併存する形態になりやすい。これに対して,大陸型では,自治体を同時に国(または州)の下部機関として活用しているので,自治体が地域社会の総合的な行政主体となっている,あるいはこの方向を指向していく傾向が強いといえるであろう。
敗戦前の日本の地方自治制度は大陸型,なかでもフランス型のそれに近似していた。しかし,戦後改革においては,内務省が解体され,都道府県が完全自治体に改められ,長と議会の二元的代表機関の双方について直接公選制が採用されるなど,アングロ・サクソン型,なかでもアメリカ型の特質が加味されることとなった。だが,アメリカ型にみられるような選択憲章制度とか自治憲章制度が導入されたわけでもなく,行政による統制中心主義が立法・司法による統制中心主義に改められたわけでもないのであって,日本の自治体は画一的である。また,機関委任(事務)制度を継承していること(〈委任事務〉の項も参照),自治権の範囲の定め方としては包括授権主義を採用していること,自治体を地域総合行政の主体として維持しつづけようとしていることなどにあらわれているように,現在の日本の地方自治は大陸型の基本的な特質を継承しているのである。
以上の5ヵ国の地方自治をめぐる歴史からもうかがえるように,地方自治は分権化の改革と集権化の改革との継起を経て発展してきているのであるが,この分権化と集権化の波はその国民国家の政治をめぐる民主化と反動化の波とほぼ対応していたのである。地方自治の発展は民主主義のそれと並行しているのである。
→自治 →地方公共団体 →地方分権
執筆者:西尾 勝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
広い意味では、国内の一定地域の住民が、その地域における公共事務を自主的に決定し処理することをいう。この意味では、ギリシアの都市国家、中世末の自治都市の政治なども含まれる。しかし現在、地方自治として問題にされているのは近代国家の場合である。その意味で、地方自治とは、国家の領域を多数の地方自治体に区分し、国家から一定範囲内で、その地域を統治する権限を地方自治体に与え、それを地域住民によって処理している政治形態をさす。地方制度ともよばれる。現行法上、日本では、都道府県と市町村・特別区の自治をさしている。
[高木鉦作・辻山幸宣]
この意味の地方自治が制度化され重要性をもつようになってきたのは、近代の国民国家以降のことである。それは、近代の国民国家が権力分立と代議制の二つの政治原理を基礎にしていて、中央政府段階における立法・司法・行政の三権分立と並んで、中央政府と地方自治体の間にも権限を区分し、中央と地方の相互の抑制により、それぞれの権力濫用を防ぐ仕組みとしているからである。さらに、中央政府の役人が国内の公共事務をすべて処理することになると、中央政府の役人は各地域の事情を無視して中央からの指示どおり全国一律に処理しがちになるので、各地で不満や反発が生じ、国内が不安定になりやすい。また、そのような仕組みであると、個々の地域だけで解決可能な問題までも中央政府の責任となり、中央政府の負担が大きくなって、本来の責務が十分に果たせないという事態にもなる。そのような事態を避けるためにも、地方自治体を設けているのである。
地方自治が重要であるのは、そうした中央集権の弊害や中央政府の権力濫用を抑制するための地方分権的な仕組みということだけによるものではない。地方自治は、地域の住民が地方自治体における諸施策の作成や実施に参加し、それぞれの地域の特殊事情を生かしながら、住民相互が協議し合意を得て、自分たちの判断と責任において地域の公共的な諸問題を解決し処理することである。そして、多くの住民が身近な地方自治体の運営を通じて、そのような経験を積むことにより民主主義を体得していくことにもなる。この民主主義の訓練という意味からも、地方自治は重要な政治的意義を有しているのである。
[高木鉦作・辻山幸宣]
しかし、重要な役割をもつ地方自治が発展するためには、制度的に地方自治体が自主的に事務を処理できるだけの権限と財源を有すると同時に、実際の運営において中央政府が不当に地方自治体に対して関与、統制せず、また地方自治体を公正かつ適切に運営できる住民の能力や判断、そのための学習や訓練が重要な要件となる。したがって、地方自治の実際は、各国の歴史的な背景や政治的な条件によって相違し、かならずしも順調に発展してきたとは限らない。一般に、地方自治が発展してきた国といわれているのがイギリスである。イギリスは、11世紀に国家の統一が行われて以来、中央政府は、古くから続いてきた地方区画のカウンティに、中央の任命した長官を配して国内を統治してきた。13世紀に、財政上の必要から、王はカウンティやバラ(都市)の経済的有力者の代表を集め、課徴金の賦課を協議させた。この会議は、その後もしばしば開かれ、それがイギリス議会の起源となった。14世紀に、カウンティの長官をカウンティ内の住民から選任するようになり、それに裁判権も与えた。これが治安判事で、治安判事はカウンティを代表する議会議員と同じ階層の土地貴族から選ばれた。さらに産業革命後は、市民階級が議会の中心になり、特権的な治安判事にかわって地方自治体を運営する近代的な制度へと転換してきた。このように、議会の議員と地方の行政担当者とが同じ階層から選ばれる仕組みを通じて、国の議会制と地方自治とを有機的に結び付けて、歴史的に制度を形成し発展させてきたのである。こうした歴史的背景を欠いたヨーロッパ大陸の諸国は、君主が強権によって特権的諸勢力の割拠状態を打破して国家を統一し、地方の区画を再編成して地方自治体を設け、それを中央政府の官僚が統制する制度にした。こうした中央集権的な仕組みと伝統を、イギリスは生み出さなかった。
しかし、イギリスのような分権的な制度の歴史を有する国も、中央・地方の行政活動が増大してきた現在では、行財政の面で中央政府の地方自治体に対する関与や統制が強まっている。さらに、規模が小さく、大小不統一の地方自治体を広域単位に統合・再編成したり、地方自治体の権限を中央政府に移すなど、中央集権化の傾向がみられる。こうした動向に対して、集権的な行財政の構造を分権的なものに改め、地方自治体の自主性と住民の自治を強めていく必要が、先進工業諸国の課題となってきた。
[高木鉦作・辻山幸宣]
日本の近代的な地方自治の制度は、明治の中期に形成された。それは、地方の財産と教養のある名望家による地方自治体の運営(自治)を、中央の官吏が監督する仕組みで、地方自治体の処理する事務の多くは国から委任された事務であった。したがって、地方自治体も実質的には中央政府の下位団体的な性格が強かった。
第二次世界大戦後、地方制度が根本的に変革され、日本国憲法により、地方自治は議会制の統治構造の重要な要素となり、都道府県や市町村の地方自治体の独立性が強まり、地方自治体の選挙や運営に対する住民の参加が拡大された。しかし地方自治体の事務権限や財源については独立した地方自治体の制度に改革されなかったため、実際には地方自治体の運営に対して中央各省が関与、統制し、地方自治体も中央政府に依存しがちで、そうした中央と地方の関係がその後も継続し、むしろ強化されてきた。
この中央と地方の間の集権的な行財政の仕組みを通じて、1960年代以降の高度経済成長政策は推進された。その反面、経済成長に伴うひずみが増大し、また都市化の進行により住民の利害や関心も変化し多様化したことから、地方自治体の施策の内容や運営に対する批判・改善を求める住民運動が激増した。こうした事態に直面して、地方自治体も環境の保全や整備、福祉など住民の生活と関係の深い施策の推進に力を注ぎ、住民参加の方式を試みるようになり、1970年代は地方自治に新しい動きも生じ、一般の関心も高まってきた。そうした動きを背景に、集権的な行財政の仕組みを分権化させ、地方自治体が住民の参加を通じて自主的に運営できるように改める必要が強調されてきた。1990年代に入り、政府規制の緩和と並んで地方分権の要請が高まった。衆参両院が全会一致で「地方分権の推進に関する決議」(1993年6月)を採択したのを受け、1995年(平成7)に地方分権推進委員会が設置された。同委員会はこの改革を明治維新・戦後改革に次ぐ「第三の改革」と位置づけ、地方分権推進の理由として(1)中央集権型行政システムの制度疲労、(2)変動する国際社会への対応、(3)東京一極集中の是正、(4)個性豊かな地域社会の形成、(5)高齢社会・少子化社会への対応を掲げた。政府は同委員会の勧告に基づき475本の法律改正を内容とする地方分権一括法を1999年通常国会で成立させた。その要点はまず第一に機関委任事務制度の廃止にあり、これにより中央政府の後見的監督のもとに置かれてきた地方自治体の自律性を高めるとともに、地域における行政は地域の「自己決定」と「自ら治める責任」とを原則として運営されることになった。その10年後の2009年「地域主権」を主要政策の一つに掲げる民主党を中心とする新政権が樹立され、地方自治の行方にも関心が集まっている。
[高木鉦作・辻山幸宣]
『大森彌・佐藤誠三郎編『日本の地方政府』(1986・東京大学出版会)』▽『辻山幸宣著『地方分権と自治体連合』(1993・敬文堂)』▽『西尾勝編著『地方分権と地方自治』(1998・ぎょうせい)』▽『今村都南雄編著『現代日本の地方自治』(2006・敬文堂)』▽『辻清明著『日本の地方自治』(岩波新書)』▽『兼子仁著『新地方自治法』(岩波新書)』▽『松下圭一著『自治体は変わるか』(岩波新書)』
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(北山俊哉 関西学院大学教授 / 笠京子 明治大学大学院教授 / 2007年)
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…かかる全国的または地方的公共財の提供に必要な貨幣収入を調達することによって,それら公共財の提供を資金的に保証し,それら公共財の質的構成ならびに量的大きさを決定するのが,国の財政であり,また地方財政の役割である。【大川 政三】
【地方財政制度の成立】
近代日本の統一的地方財政制度は,1888年の市制町村制(1889施行)および90年の府県制郡制によって,地方自治制の一環として成立した。その成立過程をみると,まず1871年の廃藩置県の後,府県体制が中央集権的に整備されるなかで,各府県官により行政機構の末端機関として大区・小区が設けられ,幕藩体制下の自治組織であった町村が制度上否認されるが,実際には,地租改正等の新政策を実施するための末端事務と当時の地方費の中心であった民費の課出は,旧来の町村組織に依存せざるをえないという矛盾に陥った。…
…中央集権に対立する語で,地方政府(地方自治体)に責任と権限が分散している状況をいう。 現代国家は,地方政府に何がしかの自治権を付与している。…
※「地方自治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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