厚生大臣の免許を受けて,助産または妊婦,じょく婦もしくは新生児の保健指導をなすことを業とする女子。かつては〈産婆〉ともいわれたが,今日ではこの名称が用いられる。その資格,業務内容については保健婦助産婦看護婦法(1948)に規定されており,その業務を助産婦以外の者が行うこともその名称を用いることも禁じられている。また,助産婦が分娩を介助するにあたっては,正常分娩に付随する業務に限られ,手術や器械の使用,薬剤の投与など医療行為は禁じられている。しかし出生証明書,死産証明書,死胎検案書を交付することはできる。助産婦の免許は,看護婦の免許をもつ者,あるいは看護学校など看護教育課程の卒業者が,6ヵ月間,助産婦学校で教育を受け,国家試験に合格したとき,与えられる。
助産の仕事は,古くから母親がわが子を産み,養い育て,保護し,出産や育児の喜びや苦しみの経験を生かして他の母親を助け,さらに次の母親へと受け継いできたもので,いわば,共同体内部の相互扶助として行われてきた看護の原型でもある。したがって,看護分野では最も早く職業として成り立ち,法的にも1899年に〈産婆規則〉が制定され,開業権を有している。助産婦の働く施設としては,病院,診療所,母子健康センター,助産所などがある。かつては自宅での分娩もあったが,近年,核家族化,家族計画の普及による出生数の減少,親族や地域内の相互扶助態勢の崩壊,女性の就業率の上昇などの社会的・経済的背景のなかで施設内分娩が急増してきている。そのため,従来,自宅分娩などを担ってきた開業助産婦の業務の見直しとともに,女性のライフサイクルのなかで包括的にとらえた母子ケアがめざされはじめている。人口流産のくり返し,中・高校生の妊娠,育児ノイローゼ,母子心中など妊娠・出産・育児をめぐる社会問題が増大し,多くの側面からの働きかけが期待されているが,助産婦も,現在,性教育,家族計画,母親学級,新生児訪問,育児学級,乳幼児健診などの活動を行いながら,今後の方向を模索している。
執筆者:外口 玉子 〈保健師助産師看護師法〉が2002年3月施行され,〈助産婦〉の名称は〈助産師〉に改められた。
大正初期ころまで農山村では職業的な産婆でなく,母,姑,仲人の妻,親戚の女などが処置するか,村の経験豊かで器用な老女にたのむのがふつうであった。これを一般にトリアゲババという。産婆の方言は多様で,中国から四国にかけてはヒキアゲババ,九州地方ではコズエババ,ヘソノババ,青森・岩手ではコナサセバサマ,新潟・島根ではコシダキなどという。トリアゲ,ヒキアゲ,コスエはいずれも霊界ともいうべきところから人間界に子どもを取り上げるとか引き上げる,この世の仲間に引きすえるという意味があった。今の助産婦のように分娩の補助というだけでなく,信仰・呪術的な役割をもって,生児とは仮の親子関係を結ぶというのが古風な産婆の役目であった。愛知県ではトヤゲババに対して生児をトヤゲゴといい,子は終生親に次ぐ礼をとり,盆正月はもとよりトヤゲババの死んだ場合は湯灌を行うものであった。新潟・千葉・神奈川などでは助産をするババのほかに別に取上親をたのむ風が今もある。取上親はへその緒を切るだけの役目で,生児が7歳になるまではその子の成長に伴う祝儀には正客として招かれる。婚礼にも招かれる場合もあり,一生仮の親子の関係をもつ。一般には産婆は妊娠5ヵ月の帯祝のころからたのみ,助産後も新生児のへその緒の始末や湯を浴びせる世話をする。七夜あるいは宮参りをすませたころに,産婆に衣類や金銭を贈って謝礼とした。
執筆者:大藤 ゆき
助産婦ないし産婆を指す語は,すでに旧約聖書(《創世記》35:17など)に見え,古代ギリシアでもソクラテスがその哲学的実践を〈産婆術maieutikē〉と称したように,存在は古くから認められる。産科学の歴史は遠くエジプト初期王朝時代にさかのぼるとされ,ローマ時代にはソラノスのような優れた医師も出たが,古代・中世を通じて,出産は医師ではなく産婆にゆだねられていたと考えてよい。彼女たちの多くは,占いを含む種々の言い伝え,薬草など民間医療の知識に人並み以上に通じた老女,経産婦であり,その活動は助産だけではなくもろもろの人生相談などを含む,共同体内部での女性間の相互扶助の一環をなすものであったと思われる。したがって専門職として独立したり職能集団が組織されることはなかったが,先輩産婆への見習奉公といった形での技術と知識の継承は行われていたと想像される。
産婆の身分に変化が生じるのは17世紀以降のことであった。パリのオテル・ディユ(施療院)に初めて産院が付設され,本格的な助産婦の養成が始まるとともに,学識と資格を持つ外科医が助産業にも進出するようになる。イギリスでは,W.ハーベーや秘伝の産科用鉗子(かんし)を保有するチェンバレン一族による産婆批判がなされ,フランスでもF.モリソーのような産科専門の外科医が登場したり,王族の出産に立ち会って評判をとる医師が現れた。デュ・クードレ夫人らの活躍による,18世紀後半以降の助産講習会の隆盛も注目される。このような動向の中で助産婦の専門職としての独立が進む反面,外科医への従属も深まり,同時に産婆が関与しやすいとみなされた人工中絶,間引き,捨子などに対する行政機関や教会,知識人の監視も強化されていった。伝統的な産婆のイメージの変化がフランス語の用法に看取される。15世紀ころ産婆の意が加わったといわれるmatrone(ラテン語matronaに由来し原義は〈貴婦人〉)は,18世紀の〈遣手(やりて)婆〉を経て現代では不法な堕胎を行う〈もぐりの産婆〉の意で残るにすぎない。なお,大地に根ざす知恵の保持者を暗示するsage-femme(〈賢い女〉)や,光と豊饒(ほうじよう)の女神ルキナに由来するlucine,さらにsorcière blanche(〈白い魔女〉)などの語も産婆を指すことがあり,産婆と〈魔女〉の伝統的社会における関係を示唆している。
執筆者:松宮 由洋 妊婦や出産直後の女性の世話をしたり,出産の介助をする女性の存在は,日本だけでなく,ほとんどの社会に見いだせる。助産婦(産婆)を専門とする人が存在する場合もあれば,経産婦が臨時にその役割を果たすこともある。専業の産婆に対してはしばしば矛盾したイメージが存在する。一方は生命をつかさどる尊敬すべき重要な人物として,他方は邪術を行う可能性をもつ危険な人物としてのイメージである。専業の産婆が年取った女でなければならないとされることが多いのは,単に出産の経験を積んでいることだけではなく,閉経後でもはや妊娠出産の可能性がないことが条件となっていると考えられ,それは,妊娠中の女性は出産に立ち会わない,あるいは月経中の女性が出産の場に居ることをタブーとすることと同じ思考から出ていると考えられる。
執筆者:波平 恵美子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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「保健婦助産婦看護婦法」(昭和23年法律第203号)によって定められた、助産または妊婦・褥婦(じょくふ)もしくは新生児の保健指導をなすことを業とする女性の資格の名称。2002年(平成14)3月以降「助産師」に改められた。
[編集部]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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