宮沢胤勇(読み)ミヤザワ タネオ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「宮沢胤勇」の解説

宮沢 胤勇
ミヤザワ タネオ


肩書
運輸相,衆院議員(自民党),明治製革社長

生年月日
明治20年12月15日

出生地
長野県

学歴
早稲田大学政治経済科〔明治44年〕卒

経歴
大正3年明治製革に入社、昭和10年取締役。桜組工業常務、早大講師を経て、12年スタンダード靴会社を設立。19年明治製革社長、36年会長。この間5年以来衆院議員当選6回、民政党に属し、陸軍政務次官をつとめたが、16年の予算討議で失言し、辞任。19年小磯国昭内閣の内閣参与。戦後公職追放、解除後民主党に入り、衆院内閣委員長、31年石橋湛山内閣、32年第1次岸信介内閣の各運輸相、のち自民党相談役などを歴任。他に皮革産業協会顧問、東京靴連盟会長を務めた。

没年月日
昭和41年6月2日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「宮沢胤勇」の解説

宮沢 胤勇
ミヤザワ タネオ

昭和期の政治家,実業家 運輸相;衆院議員(自民党);明治製革社長。



生年
明治20(1887)年12月15日

没年
昭和41(1966)年6月2日

出生地
長野県

学歴〔年〕
早稲田大学政治経済科〔明治44年〕卒

経歴
大正3年明治製革に入社、昭和10年取締役。桜組工業常務、早大講師を経て、12年スタンダード靴会社を設立。19年明治製革社長、36年会長。この間5年以来衆院議員当選6回、民政党に属し、陸軍政務次官を務めたが、16年の予算討議で失言し、辞任。19年小磯国昭内閣の内閣参与。戦後公職追放、解除後民主党に入り、衆院内閣委員長、31年石橋湛山内閣、32年第1次岸信介内閣の各運輸相、のち自民党相談役などを歴任。他に皮革産業協会顧問、東京靴連盟会長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮沢胤勇」の解説

宮沢胤勇 みやざわ-たねお

1887-1966 昭和時代の政治家。
明治20年12月15日生まれ。昭和5年衆議院議員(当選6回,自民党)。石橋内閣,第1次岸内閣で運輸相をつとめた。明治製革(現メルクス)社長。昭和41年6月2日死去。78歳。長野県出身。早大卒。

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