宮里悦(読み)ミヤザト エツ

20世紀日本人名事典 「宮里悦」の解説

宮里 悦
ミヤザト エツ

昭和期の婦人運動家 元・沖縄県婦人連合会会長。



生年
明治38(1905)年4月15日

没年
平成6(1994)年1月9日

出生地
沖縄県大宜味村根路銘

学歴〔年〕
沖縄女子師範〔大正14年〕卒

経歴
大正14年小学校教師となる。教職のかたわら、婦人会の育成に努め、昭和45年沖縄県婦人連合会長に就任。火葬場設置運動、家事労働合理化、トートーメメー(位はい)と財産を男だけに継がせるという封建的慣習変革など様々な問題に取り組み、61年退任。この間、58年代表を務める沖縄婦人運動史研究会が第1回市川房枝基金援助を受けた。また沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会副代表を務め、米国から購入したフィルムを編集した映画「沖縄戦・未来への証言」の製作などに携わった。自伝に「宮里悦自伝〜せんばる女一代記」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮里悦」の解説

宮里悦 みやざと-えつ

1905-1994 昭和時代後期の女性運動家。
明治38年4月15日生まれ。小学校教員生活45年ののち,昭和45年沖縄県婦人連合会会長に就任。生活の改善と合理化,封建的慣習打破をうったえる「トートーメー(位牌(いはい))は女性でも継げる」キャンペーンなどを展開した。平成6年1月9日死去。88歳。沖縄県出身。沖縄女子師範卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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