宮里辰彦(読み)ミヤザト タツヒコ

20世紀日本人名事典 「宮里辰彦」の解説

宮里 辰彦
ミヤザト タツヒコ

昭和・平成期の経営者 元・リウボウインダストリー社長。



生年
大正6(1917)年1月20日

没年
平成5(1993)年12月14日

出生地
沖縄県那覇市

学歴〔年〕
東京帝大経済学部〔昭和14年〕卒

経歴
日本興業銀行勤務ののち、軍需省に移る。戦後、沖縄県民政府通訳官となり、昭和21年琉球貿易庁長。27年臨時中央政府の商工局長兼リウボウ百貨店専務。琉球銀行理事も務め、ドル通貨への切り替えなど重大な転換期に沖縄経済界の理論的指導者として活躍。リウボウインダストリー社長を経て、平成4年会長に就任

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮里辰彦」の解説

宮里辰彦 みやざと-たつひこ

1917-1993 昭和後期-平成時代の経営者。
大正6年1月20日生まれ。日本興業銀行勤務をへて,軍需省にはいる。戦後,沖縄民政府通訳官をへて,琉球列島貿易庁総裁となり,沖縄経済の復興にあたる。昭和27年から父が創業した琉球貿易をひきつぐ。29年デパート経営をはじめ,39年リウボウと社名変更。沖縄有数のデパートにそだてた。平成5年12月14日死去。76歳。沖縄県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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