太平洋戦争期に軍需品増産のため設置された行政機関。戦局の悪化に伴う原材料不足や、増産をめぐる陸海軍の対立などを調整し、軍需品、とりわけ決戦兵力とされた航空機の大増産を図るため、原材料、資金、労働力、動力などの重点的投入と生産の一元化を目的として、1943年(昭和18)11月に設置された。初代大臣は東条英機(ひでき)首相が兼務、次官は商工大臣の岸信介(のぶすけ)であった。軍需省には航空兵器総局のほか、総動員、機械、鉄鋼、軽金属、非鉄金属、化学、燃料、電力の各局が置かれ、増産に努めたが、本土空襲の開始や外地からの資源輸送の途絶、陸海軍の対立などによって、期待された成果をあげることはできなかった。なお、同省の新設に伴い、企画院と商工省が廃止されている。軍需省は敗戦により廃止。
[吉田 裕]
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太平洋戦争期に軍需生産行政を管轄した中央官庁。1943年(昭和18)11月1日商工省・企画院の大部分,陸海軍航空本部の一部などを統合して設置。主要ポストには現役軍人が就任した。軍需生産増強のための計画から実施までの軍需工業行政の一元化,とくに航空機の増産をめざしたが,陸海軍の対立もあり目的を達成しなかった。所管事務は国家総動員,軍需品の生産管理,民間工場の統制など。45年8月26日廃止され商工省が再置された。
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…42年11月まで4次の改組がなされたが,太平洋戦争の戦局悪化とともに,限られた資材,物資の獲得や発注をめぐり陸海軍の対立・抗争が激化し,さらに強力な権限を有した国家機関が求められるようになった。その結果43年11月,商工省と企画院が廃止され,新たに軍需省に統合再編された。国家総動員【粟屋 憲太郎】。…
…日本が全面的な軍需動員にふみきったのはガダルカナル敗戦後の1943年の初めからで,民需を無視したねこそぎ動員が強行された。11月には陸海軍の航空機生産を一元化するため,商工省と企画院に代えて軍需省がつくられ,軍需会社はさらに特別の優遇措置をうけた。だが基礎資材の生産はすでに低下する一方で,最重点の航空機生産もアメリカ軍の本土空襲に先立って1944年秋には減少に転じていた。…
…39年戦争の長期化にともない機構は全面的に改変され,それまでの商・工・鉱の業種別部局課編成から物資別の機構となり,官房のほか総務,鉱産,製鉄,化学,機械,繊維,管理の7内局,1部,4外局となった。41年の再改編後43年軍需省が設置されるや,商工省は解体され,鉱・工部門は軍需省の,商務および軽工業関係は農商省の所管となった。第2次大戦終結とともに商工省は復活したが,49年貿易庁と併せて通商産業省となった。…
…発足当時の組織は大臣官房,商務局,工務局,鉱山局のほか,外局として特許局,官営八幡製鉄所が置かれていた。その後,若干の変遷があり,39年には物資別の局編成に移行し,43年に同省重工業部門を中心に軍需省に改組,その際事務の一部は農商省,大東亜省に移管された。45年8月商工省設置(軍需省廃止),同年12月貿易庁等設置,49年5月商工省と貿易庁等を統合して現在の通商産業省となった。…
…43年10月には統制会の下部組織的な役割をになうべき統制会社令も公布・施行されたが,すでにその実際の運営は非能率性を露呈してきていた。また同年11月には軍需省が設置されて国家総動員業務を集約し,同時に軍需会社法が制定された。これにより企業経営の国家性の明確化や生産責任体制の確立などが,軍需関連企業に強制された。…
※「軍需省」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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