日本歴史地名大系 「宮野腰村」の解説 宮野腰村みやのこしむら 富山県:高岡市旧礪波郡地区宮野腰村[現在地名]高岡市小竹(おだけ)小竹村の北に位置し、北は中保(なかほ)村、東は本保(ほんぼ)村、西は駒方(こまがた)村。北東部を祖父(そふ)川が北流する。村名は福田(ふくだ)郷の郷社十禅師(じゆうぜんじ)宮の横に村立てしたことによる。宮越・宮腰とも記された。正保郷帳では高五〇石、すべて田方で三町三反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高五六石・免四ツ五歩(三箇国高物成帳)。年貢米は戸出(といで)御蔵・蔵宿へ納めた。寛文四年の村高のうち五〇石は伊勢御印福井土佐の御料所となった(越中志徴)。天保一〇年(一八三九)の高六〇石(「高物成帳」菊池家文書)。延宝四年(一六七六)の役家数五、肝煎は勘右衛門(「礪波郡村肝煎給米図り帳」川合家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by