宮鼻村(読み)みやはなむら

日本歴史地名大系 「宮鼻村」の解説

宮鼻村
みやはなむら

[現在地名]東松山市宮鼻

正代しようだい村の南西越辺おつぺ川の左岸に位置し、村域は同川に沿う低地高坂たかさか台地の突端部を占める。田園簿によると田高二二四石余・畑高一六四石余、旗本横田次郎兵衛(述松)家と同横田甚右衛門(胤松)家の相給。元禄一一年(一六九八)述松領は旗本三間領となったが(同一二年「訴状」久保田家文書など)、のち横田領に復した。元禄郷帳では高四五四石余、国立史料館本元禄郷帳では横田家二家の相給。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む