香林寺(読み)こうりんじ

日本歴史地名大系 「香林寺」の解説

香林寺
こうりんじ

[現在地名]小田原市板橋

板橋いたばし集落の北隅にある。南谷山と号し、曹洞宗本尊薬師如来開基は北条氏綱室。「風土記稿」によれば寛正五年(一四六四)創建と伝え、もと本寺の早川はやかわ海蔵かいぞう寺、久野くの総世そうせい寺とともに小田原三寺という。

享禄四年(一五三一)一二月五日の朝倉右京進寄進書立写(県史三)によれば、右京進の祖父が合計一四貫八〇〇文を寄進している。また年未詳八月二八日の北条氏綱掟書(同書)が与えられ、永禄二年(一五五九)には北条氏政が棟別赦免のうえ山畠を寄進(「北条氏政判物」同書)、同一〇年一月晦日には北条氏康が什物のほか灯明銭六貫六〇〇文を寄進するなど(「北条氏康什物寄進状写」同書)、三代にわたり手厚い保護を与えた。


香林寺
こうりんじ

[現在地名]八日市市林田

臨済宗永源寺派。瑞光山と号する。林田はやしだの尼僧妙鏡が南北朝期の戦乱憂い、康永二年(一三四三)に堂一宇を創建し、長福ちようふく(現京都市右京区)開山月林道皎を開基に招請した禅寺が始まりという(延宝八年「香林寺伝記」香林寺文書)。月林道皎は入元して古林清茂に嗣法した高僧。その後の香林寺の詳細については不明であるが、近世初期、永源えいげん(現滋賀県永源寺町)中興の祖一糸文守の法孫南嶺慧詢の弟子鉄山文岑によって復興が図られた。鉄山の記した香林寺再建之序(同文書)によれば、延宝八年(一六八〇)香林寺地東隣の円福えんぷく寺を合併統合して永源寺末寺として復興したと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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