改訂新版 世界大百科事典 「密県」の意味・わかりやすい解説
密県 (みつけん)
Mì xiàn
中国,河南省の中部,嵩山の東麓にある都市。漢代に密県がおかれ河南郡に属した。唐代には密州が設置されたが,のち廃されて鄭州の属県となった。清朝時代は開封府の管轄下にあった。西方約6kmの打虎亭に2基の後漢時代の墓があり,打虎亭漢墓として知られる。両者の間隔は30mで,墓室の形状は基本的に同じである。これは墓門,甬道(ようどう),前室,中室,後室,南耳室,東耳室,北耳室よりなる。1号墓(西塚)は2号墓(東塚)より大きく,周220m,高さ15m,2号墓は周113m,高さ7.5mをはかる。1号墓の墓室は画像石で,2号墓は壁画で飾られており,〈百戯図〉〈地主収租図〉〈宴飲図〉など当時の生活を題材としている。1号墓を後漢の人,弘農太守張伯雅の墓にあてる説がある。
1966年,密県の法海寺址から,北宋時代の黄・緑・褐3色のガラスの方塔3個,ガラス舎利匣1個が出土した。方塔の最大のものは高さ98.5cmで7層の塔をかたどり,〈咸平二年〉(999)の年号が記されていた。唐・宋時代のガラス工芸を考えるうえで重要な材料である。
執筆者:岡崎 敬
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報