富田幸次郎(読み)トミタ コウジロウ

20世紀日本人名事典 「富田幸次郎」の解説

富田 幸次郎
トミタ コウジロウ

明治〜昭和期の政治家,ジャーナリスト 衆院議長(民政党);高知新聞社長・主筆



生年
明治5年11月1日(1872年)

没年
昭和13(1938)年3月23日

出生地
高知県安芸郡川北村

別名
俳号=双川

学歴〔年〕
芸陽学舎〔明治22年〕卒

経歴
板垣退助の自由民権運動に参加、高知で「土陽新聞」主筆、次いで「高知新聞」を創刊、社長兼主筆となる。明治41年以来高知県から衆院議員当選10回、憲政会幹事長、民政党総務、同幹事長を務めた。昭和6年臨時行財政審議会委員。同年第2次若槻礼次郎内閣の危機に、安達謙蔵らと政・民協力内閣工作に参画。8年復党し、常任顧問。12年以来没するまで衆院議長を務めた。その間帝国通信社、日本高速度鋼、日本紡織機各社長。また教科書調査会、選挙革正審議会各委員を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「富田幸次郎」の解説

富田 幸次郎
トミタ コウジロウ


肩書
衆院議長(民政党),高知新聞社長・主筆

別名
俳号=双川

生年月日
明治5年11月1日

出生地
高知県安芸郡川北村

学歴
芸陽学舎〔明治22年〕卒

経歴
板垣退助の自由民権運動に参加、高知で「土陽新聞」主筆、次いで「高知新聞」を創刊、社長兼主筆となる。明治41年以来高知県から衆院議員当選10回、憲政会幹事長、民政党総務、同幹事長を務めた。昭和6年臨時行財政審議会委員。同年第2次若槻礼次郎内閣の危機に、安達謙蔵らと政・民協力内閣工作に参画。8年復党し、常任顧問。12年以来没するまで衆院議長を務めた。その間帝国通信社、日本高速度鋼、日本紡織機各社長。また教科書調査会、選挙革正審議会各委員を務めた。

没年月日
昭和13年3月23日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「富田幸次郎」の解説

富田幸次郎 とみた-こうじろう

1872-1938 明治-昭和時代前期のジャーナリスト,政治家。
明治5年10月1日生まれ。「土陽新聞」主筆をへて「高知新聞」を創刊し,社長兼主筆となる。明治41年衆議院議員(当選10回)。民政党の総務,幹事長をつとめ,昭和11年衆議院議長。昭和13年3月23日死去。67歳。高知県出身。芸陽学舎卒。号は双川。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「富田幸次郎」の解説

富田 幸次郎 (とみた こうじろう)

生年月日:1872年11月1日
明治時代-昭和時代のジャーナリスト;政治家。衆議院議員
1938年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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