審祥(読み)しんじょう

精選版 日本国語大辞典 「審祥」の意味・読み・例文・類語

しんじょうシンジャウ【審祥・審詳】

  1. 奈良時代華厳宗の僧。新羅(しらぎ)出身とも、新羅へ留学した学僧ともいう。天平一二年(七四〇)より良弁(ろうべん)の勧めで金鐘(こんしゅ)寺において「華厳経」を講じて慈訓・鏡忍ら多くの学僧を指導し、良弁とともに日本華厳宗の基を開いた。七四二年没。

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朝日日本歴史人物事典 「審祥」の解説

審祥

生年生没年不詳
奈良時代の僧。審詳ともいう。入唐し法蔵について華厳を学ぶ。天平年間(729~749)に帰国して大安寺に住した。良弁に招請されて天平12(740)年から3年,奈良の金鐘寺(のちの東大寺)で『六十華厳経』を講じた。本朝華厳宗第一祖とされる。その蔵する経典東大寺写経所で多く書写された。著書に『花厳起信観行法門』1巻などがある。没年については天平14年とする説もあるが,正倉院文書に同16年の経典貸し出しに名がみえ,そのころまでは生存していた。なお,「新羅学生」の呼称があり,新羅人とする説と新羅への留学僧であったとする説がある。

(若井敏明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「審祥」の解説

審祥 しんじょう

?-? 奈良時代の僧。
華厳(けごん)宗。唐(とう)(中国)で法蔵に華厳をまなび,帰国後,奈良大安寺に住す。良弁(ろうべん)の要請で天平(てんぴょう)12年(740)から3年間,金鐘寺(のちの東大寺)でわが国初の華厳経講話をおこなった。新羅学生(しんらがくしょう)とよばれ,新羅(しらぎ)(朝鮮)への留学僧とも新羅人ともいわれる。法名は審詳ともかく。著作に「華厳起信観行法門」。

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世界大百科事典(旧版)内の審祥の言及

【審詳】より

…生没年不詳。審祥とも書く。《一乗開心論》などの華厳宗の古伝記は〈青丘留学生〉とし,新羅国に留学して華厳教学を学び,帰国後は平城右京の大安寺に止住していた。…

※「審祥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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