法蔵(読み)ほうぞう(英語表記)Fa-zang

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

法蔵
ほうぞう
Fa-zang

[生]貞観17(643).長安
[没]先天1(712).11.14.
中国,唐の僧。賢首大師,香象大師,華厳和尚などともいう。華厳宗の第3祖。祖先は中央アジアの康居出身。智儼から華厳教えを聞き,咸亨1 (670) 年出家。しばしば『華厳経』を講じて名声を博し,『華厳経』などの訳経に参与し,長安,洛陽をはじめ各地に華厳寺を創建。また則天武后の信任が厚く,西明寺における祈雨,洛陽での舎利供養などの大任を果した。『華厳経探玄記』『華厳経旨帰』『華厳経遊心法界記』『大乗起信論義記』などの多くの著書があり,華厳宗を大成した。

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デジタル大辞泉の解説

ほう‐ぞう〔ホフザウ〕【法蔵】

仏語。仏陀(ぶっだ)が説いた教え。また、それを記した経典。仏法蔵。
法蔵比丘(びく)」の略。

ほうぞう【法蔵】[人名]

[643~712]中国、唐代の僧。華厳宗の第三祖。長安の人。師の智儼(ちごん)没後に出家し、「華厳経」などの経典の翻訳に参加。華厳教学の大成者で、事実上の開祖。著「華厳経探玄記」。賢首大師

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百科事典マイペディアの解説

法蔵【ほうぞう】

中国,唐代の僧。賢首(けんじゅ)大師。華厳(けごん)宗の実際上の開祖,宗学の大成者。祖父はサマルカンドの人。長安生まれ。智儼(ちごん)につき華厳教学を学び,玄奘(げんじょう)らの訳経にも参加した。のち天台宗の例にならい教判を完成し,教の思想体系を五教・十宗とした。著書《五教章(ごきょうしょう)》など。
→関連項目澄観

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世界大百科事典 第2版の解説

ほうぞう【法蔵 Fǎ zàng】

643‐712
中国,唐代の僧。華厳宗の第3祖。賢首大師または香象大師。姓は康。長安の人。華厳の第2祖智儼に学び,その仏教を集大成する。則天武后の勅で入内したとき,側にあった金獅子の像を例にとり,その本質と形相の関係を五つに分け,華厳の教学を体系づけたといわれる。《華厳五教章》《探玄記》《起信論疏》などの著があり,実叉難陀を助けて,《新華厳経》80巻の訳出を完成する。智儼の下で,ともに学んだ新羅僧,義湘に送る手紙が現存(天理図書館),その伝も新羅の崔致遠が書くなど,新羅化教との関係も大きい。

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大辞林 第三版の解説

ほうぞう【法蔵】

仏の説いた教え。また、教えを記した経典。

ほうぞう【法蔵】

阿弥陀如来がまだ仏になっておらず、世自在王仏のもとで修行していたときの名。法蔵比丘びく。法蔵菩薩。
643~712) 中国、唐代の僧。華厳宗第三祖で華厳教学の大成者。賢首大師・香象大師ともいう。長安に生まれ、中年で出家し智儼ちごんに師事した。華厳経(八〇巻)などの仏典翻訳などにも参加。著「華厳五教章」「華厳経探玄記」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

法蔵
ほうぞう
(643―712)

中国、唐代の華厳(けごん)宗の僧。華厳教学の大成者で、中国華厳宗第三祖とされる。俗姓は康(こう)氏。先祖は代々康居(こうきょ)国(いまのタシケント、チムケントあたり)の丞相(じょうしょう)を務めたが、祖父の代に中国に帰化し、長安に住した。父の名は謐(ひつ)と称し、左衛中郎将であった。658年(顕慶3)16歳のとき阿育王舎利塔(あいくおうしゃりとう)前で一指を焼いて供養(くよう)したという。翌659年、法を求めて太白(たいはく)山に入ったが、親が病気になったので長安に帰った。雲華(うんげ)寺で智儼(ちごん)(602―668)に学び『華厳経』の講義を聞くこと9年に及んだ。智儼の入寂後2年、670年(咸亨1)に、則天武后は実母栄国夫人(579―670)の霊を供養するため太原寺(たいげんじ)を創建し、勅命を下して法蔵を落髪させこれに住せしめた。法蔵28歳のときのことである。以後『華厳経』を講ずること三十数回に及び、武周王朝期仏教界の第一人者として活躍した。実叉難陀(じっしゃなんだ)の『華厳経』80巻の訳出を助け、地婆訶羅(じばから)(日照。613―687)、提雲般若(だいうんはんにゃ)、弥陀山(みだせん)、義浄(ぎじょう)の訳経にも関係した。また、西明寺、大薦福寺で雨を祈り、悟真(ごしん)寺で雪を祈って、霊験があったという。先天(せんてん)元年11月14日、西京の大薦福寺で示寂。賢首(けんじゅ)大師、香象(こうしょう)大師、康蔵(こうぞう)法師、華厳和尚(おしょう)などと敬称される。『華厳経探玄記(たんげんき)』20巻、『華厳五教章(ごきょうしょう)』(『華厳一乗教義分斉章』『華厳教分記』『一乗教分記』とも)3巻、『妄尽還源観(もうじんげんげんかん)』1巻、『遊心法界記(ゆうしんほっかいき)』1巻、『華厳経伝記』5巻、『大乗起信論義記(だいじょうきしんろんぎき)』5巻、『梵網経菩薩戒本疏(ぼんもうきょうぼさつかいほんしょ)』6巻、『般若心経略疏(はんにゃしんぎょうりゃくしょ)』1巻など多数の著書があり、宏観(こうかん)、文超(ぶんちょう)、智光(ちこう)、宗一(しゅういち)、慧苑(えおん)(673?―743?)、慧英(ええい)らの弟子がいる。[池田魯參]
『鎌田茂雄著『中国華厳思想史の研究』(1965・東京大学出版会) ▽鎌田茂雄著『仏典講座28 華厳五教章』(1979・大蔵出版)』

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世界大百科事典内の法蔵の言及

【応和宗論】より

…963年(応和3)に宮中で,天台・法相(ほつそう)両宗の学匠が一切成仏(いつさいじようぶつ)・二乗不成仏をめぐって行った論議をいう。村上天皇は,8月21日から25日までの5日10座,南都北嶺の高僧各10人を清涼殿に招き法華会を催したが,その第2日夕座(ゆうざ)に問者であった天台の覚慶は,一切すべてのものが成仏できると主張したのに対し,講師であった東大寺の法蔵が,成仏できるのは菩薩と不定(ふじよう)の一部に限定されると法相宗の立場から反論して論争となった。激論は第5日夕座に及び,成仏不成仏論では史上最大規模の宗論となったが勝敗は決せず,活躍した法相宗の仲算は恩賞を賜り,天台の良源は翌年内供奉十禅師の一員に列せられている。…

【教相判釈】より

…ここから《華厳経》は頓教であり〈漸教〉が第一時三乗別教,第二時般若経,第三時維摩経および梵天思益経,第四時法華経,第五時涅槃経であるなどというように南北朝諸教判が集大成されて,ここに隋・唐諸宗派教判の基本型が成立すると考えられる。これを改正増補して隋の天台宗の智顗(ちぎ)は,一華厳(阿含)時,二鹿苑時,三方等時,四般若時,五法華・涅槃時の五時にわたり,説法方法からして頓・漸・秘密・不定の四教と説法内容からして蔵・通・別・円の四教との八教が説かれたという五時八教の教判を完成させ,唐の華厳宗の智儼(602‐668)や法蔵は,一小乗教,二大乗始教,三終教,四頓教,五円教の五教と,我法俱有宗,法有我無宗,法無去来宗,現通仮実宗,俗妄真実宗,諸法但名宗,一切皆空宗,真徳不空宗,相想俱絶宗,円明俱徳宗の十宗の教判を完成させた。日本においても,空海の顕密二教を分かち十住心(《十住心論》)を立てる教判や,親鸞の頓教に難行易行の二道と竪超横超の二超を立てて漸教・小乗教に対比させる教判などが説かれた。…

【五教章】より

…中国仏教の典籍の一つ。華厳宗の第3祖,唐の賢首大師法蔵の著作。くわしくは《華厳一乗教義分斉章》,もしくは《華厳五教章》という。…

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