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華厳宗 けごんしゅう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

華厳宗
けごんしゅう

中国,唐の杜順の開いたといわれる宗派。『華厳経』に基づく宗派であって,その成立の背景に,『華厳経』の写経や読誦を通して表現される『華厳経』信仰や,その信仰に基づく信仰団体である華厳斎会 (さいえ) などの存在があったといわれる。やがて智儼が現れ,法蔵によって体系づけられた。その後澄観,宗密が出た。新羅の義湘は杜順に華厳教学を学び,帰国後,東海華厳宗を開いた。元暁も入唐して華厳を学んだ。菩提仙那とともに日本に来た (736) 道せん (どうせん) は華厳教学を初めて日本に伝えたとされる。新羅出身で法蔵に華厳を学んだ審祥 (しんじょう) は日本に渡来して『華厳経』を講義し (740) ,その教学を受継いだ良弁東大寺をその中心とし,のちに光智は東大寺に尊勝院を建て『華厳経』に基づく修行の道場とした。そののち多くの学僧が輩出した。

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デジタル大辞泉の解説

けごん‐しゅう【華厳宗】

華厳経をよりどころとする仏教の宗派。中国唐代に賢首(げんじゅ)大師法蔵が大成し、日本には、唐僧道璿(どうせん)によって天平8年(736)伝えられたという。東大寺が造営されてのち広められた。南都六宗の一。けごん。

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百科事典マイペディアの解説

華厳宗【けごんしゅう】

華厳経を根本とし,中国,唐代の法順が立て,法蔵が組織づけた大乗仏教の宗派。日本では南都六宗の一つ。740年唐僧道【せん】(どうせん)が日本に伝えたといわれるが,法蔵の弟子,新羅の審祥(しんじょう)が同年,東大寺で華厳経を講じたのをもって始祖とする。
→関連項目華厳縁起大乗起信論杜順浮石寺

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世界大百科事典 第2版の解説

けごんしゅう【華厳宗】

《華厳経》を所依とする仏教の一派。
[中国]
 中国では5世紀の初めに,覚賢が訳出した60巻本《華厳経》を読誦し,供養することによって,霊験を求める民俗信仰にはじまる。南北朝より隋・唐にかけて,終南山至相寺を中心に,初祖杜順,2祖智儼,3祖法蔵の伝統を確立し,五教十宗の教学体系と,独自の実践,結社の組織化を完成する。天台の実相論に対し,〈一即一切,一切即一〉の縁起を説き,〈縁来れば生ず,縁去れば滅す〉という従来の縁起に対し,〈縁来るも生ぜず,縁去るも滅せず〉という絶対実在の性起を主張する。

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大辞林 第三版の解説

けごんしゅう【華厳宗】

華厳経の教説に基づき、中国唐代の僧法蔵が開いた大乗の宗派。華厳教学は天台教学と並ぶ仏教の代表的な思想。日本には736年に唐僧道璿どうせんが伝え、新羅しらぎ僧審祥しんじようが東大寺で初めて華厳経を講じ、日本華厳宗の第一祖となった。第二祖良弁ろうべんによって確立したが、のちに衰え、鎌倉時代に凝然・高弁により復興された。東大寺を大本山とする。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

華厳宗
けごんしゅう

中国、唐代に成立した仏教宗派。賢首宗(げんじゅしゅう)ともいう。宗祖は杜順(とじゅん)、大成者は法蔵(ほうぞう)。『華厳経』を所依の経典とし、天台宗と並んで中国仏教の双璧(そうへき)といわれる。東晋(とうしん)末、北インド出身の僧ブッダバドラ(仏駄跋陀羅(ぶっだばっだら))によって『華厳経』が翻訳されてから、『華厳経』の研究が盛んとなり、とくに511年にはインドの論師バスバンドゥ(世親(せしん))の著書『十地経論(じゅうじきょうろん)』(『十地経』として単独で流布した『華厳経』十地品(じゅうじぼん)に解釈を施した論書)が、勒那摩提(ろくなまだい)と菩提流支(ぼだいるし)の2人によって伝訳された。この『十地経論』を所依として南北朝時代に成立した学派が地論宗(じろんしゅう)である。地論宗南道派から出た浄影寺(じょうようじ)の慧遠(えおん)は、『大乗義章(だいじょうぎしょう)』を著して地論宗の教義を大成した。その地論宗の教義が華厳宗成立の学問的基礎となった。
 一方、『華厳経』を信仰するグループもつくられ、華厳宗成立の基盤が成熟した。そこに現れたのが神秘を現ずる杜順であり、彼が華厳宗の信仰面における宗祖とされた。また新しく中国に伝えられた玄奘(げんじょう)の唯識(ゆいしき)説を採用しながら、従来の地論宗の学説を発展させたのが、華厳宗の第二祖とされる智儼(ちごん)(602―668)である。この智儼の学問を受けて華厳宗の哲学を大成させたのが賢首大師法蔵であった。それ以後、澄観(ちょうかん)、宗密(しゅうみつ)が出て華厳宗を中興させたが、優れた後継者が得られず、禅宗の勃興(ぼっこう)に押されて衰亡した。宋(そう)代に一時復興したが、その後は衰微。[鎌田茂雄]

日本

日本には奈良時代に唐の道(どうせん)や新羅(しらぎ)の審祥(しんじょう)によって伝えられた。良弁(ろうべん)が法統を嗣(つ)ぎ、東大寺を建立し、華厳宗の根本道場としたことによって、南都六宗の一つとなった。鎌倉時代には宗性(そうしょう)(1202―1278)、凝然(ぎょうねん)が出て中興し、また高弁(こうべん)(明恵(みょうえ))が栂尾(とがのお)高山寺を開き、華厳の宗風を宣揚した。しかし江戸以降は檀信徒(だんしんと)主体の宗派のなかで宗勢は振るわなかった。
 華厳宗の教理は、すべてのものの円融無碍(えんゆうむげ)なる関係を説くもので、大乗仏教の縁起説(えんぎせつ)の究極的な発展形態を示す。密教の教理の背景は華厳思想で、さらに禅の思想のなかにも生きている。
 東大寺を中心として栄えた華厳宗は、明治初年に浄土宗の所轄となったことがあったが、1886年(明治19)に一宗として独立し現在に至っている。寺院数62、教会数20、布教所数30、教師数625、信者数3万8983(『宗教年鑑』平成26年版)。[鎌田茂雄]
『鎌田茂雄著『中国華厳思想史の研究』(1965・東京大学出版会)』

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世界大百科事典内の華厳宗の言及

【東大寺】より

…奈良市雑司町にある華厳宗の総本山(図)。大華厳寺,恒説華厳寺,金光明(こんこうみよう)四天王護国寺,総国分寺などの別称がある。…

【杜順】より

…18歳で出家し隋の文帝に重んぜられた因聖寺僧珍に師事,のち終南山にて華厳を宣揚,唐の太宗は禁中に招き徳を仰ぎ,また貴顕こぞって帰依したという。640年(貞観14),義善寺に入寂したが,諸方を遊行して教化に当たり,華厳宗の開祖と称された。その著《華厳法界観門》は華厳の根本経典となり,彼の弟子で華厳第2祖の智儼撰《華厳一乗十玄門》によって発展拡充された。…

【南都六宗】より

…奈良六宗ともいう。8世紀に官大寺などで研究されていた三論宗,成実(じようじつ)宗,法相(ほつそう)宗俱舎(くしや)宗華厳(けごん)宗律宗の六宗を指す。六宗の成立以前に華厳宗を除く五宗が成立していたことは,718年(養老2)10月の太政官符に〈五宗の学,三蔵の教〉とあることからもうかがわれ,藤原氏祖先の伝記である《家伝》(鎌足伝)も藤原鎌足が飛鳥元興(がんごう)寺に五宗の研究の費用を寄付したと伝えている。…

※「華厳宗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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