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良弁 ろうべん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

良弁
ろうべん

[生]持統3(689)
[没]宝亀4(773).11.24. 奈良
奈良時代華厳宗の僧。朗弁とも書く。東大寺の開山。通称を金鐘行者といった。帰化人の子孫とも,近江または相模の人ともいわれる。2歳のときわしにさらわれて,奈良の春日神社の杉の木に捨てられ,義淵僧正に育てられたという話は有名。

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デジタル大辞泉の解説

りょうべん〔リヤウベン〕【良弁】

ろうべん(良弁)

ろうべん〔ラウベン〕【良弁/朗弁】

[689~773]奈良時代の華厳宗の僧。日本華厳宗の第二祖。近江(おうみ)または相模の人。通称、金鐘(こんしゅ)行者。義淵法相(ほっそう)を、新羅(しらぎ)僧審祥(しんじょう)に華厳を学び、金鐘寺を建立。東大寺建立に尽力し、初代別当、のち僧正となった。りょうべん。

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百科事典マイペディアの解説

良弁【りょうべん】

良弁(ろうべん)

良弁【ろうべん】

奈良時代の僧。朗弁とも記す。近江(おうみ)(または相模(さがみ))の人。幼時,大ワシにさらわれ,大和(やまと)の春日大社の前の杉(俗称良弁杉)に捨てられ,義淵(ぎえん)に救われたと伝える。
→関連項目石山寺東大寺申し子

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

良弁 ろうべん

689-774* 奈良時代の僧。
持統天皇3年生まれ。はじめ義淵(ぎいん)に法相(ほっそう)をまなぶ。金鐘寺(現東大寺法華堂)を建立し,審祥(しんじょう)をまねいて華厳(けごん)経講をひらき,華厳宗をひろめた。大仏造立など東大寺の発展につくし,天平勝宝(てんぴょうしょうほう)4年初代別当。のち大僧都,僧正。晩年には近江(おうみ)(滋賀県)石山寺を造営した。宝亀(ほうき)4年閏(うるう)11月16日死去。85歳。通称は金鐘行者。

良弁 りょうべん

ろうべん

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朝日日本歴史人物事典の解説

良弁

没年:宝亀4.閏11.16(774.1.2)
生年:持統3(689)
奈良時代の僧。東大寺創建の中心人物。死亡は16日ではなく24日との説もある。出自については,相模国(神奈川県)で漆部氏とする説と,近江国(滋賀県)志賀里で百済氏とする説とがある。その前半生については史料がなく不詳。『日本霊異記』中巻第21話にみえる金鷲優婆塞を良弁と同一人物とみるのが古来の説であるが,反論もある。義淵を師として法相宗を学んだという。やがて東大寺の前身である金鐘寺で活躍,天平12(740)年には新羅人の学僧審祥 を招いて華厳経講説を行い,華厳教学を学んだ。このころから正倉院文書に多く名がみえるようになるが,経典貸借関係文書では『華厳経』などと並んで雑密系の経典が目立つ。雑密系の呪術にも関心が強かったと思われる。天平勝宝3(751)年4月少僧都。同4年4月東大寺大仏開眼供養行われると,5月に初代東大寺別当(寺務統轄の最高責任者)となった。聖武太上天皇の病気に際しては,看病禅師として昼夜にわたって法力を傾け,同8年上皇が死去すると,5月24日看病の功をもって大僧都に昇進,あわせて父母両戸の課役も免ぜられた。天平宝字4(760)年7月には僧尼位(三色十三階制)の整備に中心的役割を果たした。同5年東大寺別当を勇退,石山寺の造立に尽力した。同8年恵美押勝の乱が起こると僧正に昇進した。弟子に智憬,安寛,道鏡,実忠 などがいる。<参考文献>『東大寺要録』『続日本紀』,堀池春峰『南都仏教史の研究 東大寺篇』,平岡定海『日本寺院史の研究』,岸俊男『日本古代文物の研究』

(吉田一彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ろうべん【良弁】

689‐773(持統3‐宝亀4)
奈良時代の華厳・法相(ほつそう)の僧。東大寺の開山。百済系渡来人の後裔。近江あるいは相模出身と伝える。義淵に師事して法相宗を学び,728年(神亀5)に聖武天皇皇太子基親王の冥福を祈る金鐘山房の智行僧の一人に選ばれ,740年(天平12)大安寺審詳(祥)(しんじよう)を講師として《華厳経》の研究を始め,金鐘寺が大和国国分寺,さらに盧舎那大仏造像の地となる機縁をつくった。745年《金光明最勝王経》の講説を行って仏教界を先導し,盧舎那大仏造像に当たっては,造東大寺司次官佐伯今毛人(さえきのいまえみし),行基などとともに聖武天皇を助け,752年(天平勝宝4)4月の大仏開眼ののち,5月1日に初代の東大寺別当に任ぜられた。

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大辞林 第三版の解説

りょうべん【良弁】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

良弁
ろうべん
(689―773)

奈良時代の華厳(けごん)宗、法相(ほっそう)宗の学僧。東大寺の開山。百済(くだら)系渡来人の後裔(こうえい)。その出身地は近江(おうみ)国(滋賀県)あるいは相模(さがみ)国(神奈川県)と伝える。義淵(ぎえん)に師事して法相教学を学び、728年(神亀5)に聖武(しょうむ)天皇の皇太子基(もとい)親王の夭死(ようし)によって建てられた金鐘山房(寺)の智行僧(ちぎょうそう)の一人に選ばれた。740年(天平12)に大安寺審詳(しんじょう)(審祥)を講師として『華厳経』の研究を始め、743年正月には『金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)』の講説を行うなど、仏教界を先導し、当山寺を大和(やまと)国分寺、さらに盧遮那(るしゃな)大仏造立の地となる機縁をつくった。大仏造像にあたっては佐伯宿禰今毛人(さえきのすくねいまえみし)や行基(ぎょうき)などとともに聖武天皇を助け、752年(天平勝宝4)4月の大仏開眼供養会(だいぶつかいげんくようえ)のあと、5月1日に初代の東大寺別当に任ぜられた。伝戒師鑑真(がんじん)一行が東大寺に詣(もう)でたときはこれを迎え、聖武上皇の死去にあたっては生前の看病の功により、また仏教界の領袖(りょうしゅう)として大僧都(だいそうず)となり、763年(天平宝字7)9月に僧正(そうじょう)の極官に補せられた。晩年には石山寺(いしやまでら)の造営にも関係し、宝亀(ほうき)4年閏(うるう)11月16日に85歳で没した。
 現今東大寺開山堂には、1019年(寛仁3)11月に有慶によって造像された良弁坐像(ざぞう)が安置され、その右手に持つ木造如意(にょい)は生前所持のものと伝え、奈良時代の製作にかかるものである。[堀池春峰]
『堀池春峰著『南都仏教史の研究 上』(1980・平楽寺書店)』

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世界大百科事典内の良弁の言及

【石山寺】より

…山号は石光山。東大寺造営のとき,近江からの用材を集荷した〈石山院〉という役所をもとに,東大寺の僧良弁(ろうべん)が762年(天平宝字6)ごろ,これを寺院に改めたのが当寺の始まりである。そののち平安時代,醍醐寺を開創した聖宝(しようぼう)が初代の座主(ざす)になって,当寺はこれまでの東大寺末の華厳宗の寺から,真言密教の寺院となった。…

【春日山】より

…また水分(みくまり)の神の山として信仰され,香山から地獄谷石窟仏一帯にかけては死後魂のおもむく他界と観念されていた。このほか,春日山は遣唐使が航海安全を祈願した山であり,733年(天平5)金鷲(こんす)優婆塞良弁(ろうべん)が執金剛神悔過を修したことに代表されるように,奈良・平安時代には山岳仏教の霊地ともされた。【宮本 袈裟雄】。…

【東大寺】より

…聖武上皇に代わって開眼師にはインド僧菩提僊那(ぼだいせんな),講師は隆尊,唐僧道璿(どうせん)が咒願師,物故していた行基に代わって高弟景静が都講に起用された(大仏開眼)。金鐘寺以来当寺の建立に尽力した良弁(ろうべん)は,同年5月に東大寺別当に補せられ,諸大寺の別当職の先例を開いた。中世には発願聖武天皇,開眼師菩提僊那,勧進行基と良弁を四聖と称し,4人の協力による創建とみて,四聖建立の伽藍ともいわれた。…

【二月堂良弁杉の由来】より

…あるとき二月堂境内の杉の大木に,30年前鷲にさらわれた愛児を捜していると貼紙をする。その貼紙を,参詣に来た東大寺の良弁上人が見て,かつて自分が鷲から落ちて,その杉の枝にかかっていたのを救われたという師の話を思い起こし,驚いて貼紙の主をたずねたところ,現れたのは年老いて女乞食に落ちぶれた渚の方であった。話の内容と持っていた証拠の品から,まぎれもない実の母子であることがわかる。…

【申し子】より

…豊臣秀吉は,母がその胎内に日輪が入った夢を見て生まれた子といわれ,日吉山王の申し子である。高僧伝の例としては,良弁(ろうべん)僧正の話が名高く,伊豆三島大明神の縁起によると,伊予国三島郡の長者清政が,初瀬(長谷)の十一面観音に願って授けてもらった子が後にワシに取られ,杉の梢に置かれていたのを助けられてさまざまな曲折を経て高僧となったとある。昔話にも申し子譚が多くみられ,そこでは,申し子は多くの場合,ヘビ,カエル,タニシその他の信仰動物の形をとってあらわれる。…

【ワシ(鷲)】より

…古くはワシが天から子どもたちを連れてきたという信仰もあり得たかと考えられる説話がある。《日本霊異記》には皇極天皇の代にワシにさらわれた赤子が孝徳天皇の代にその父にめぐり会うことができた話をのせ,また《東大寺要録》には,この寺の創始者良弁僧正は関東からワシにさらわれて山城国につれてこられた子であるという話を記している。このような物語の背景には霊鳥であるがゆえに子どもたちを食うことなく運んだのだという考えがよみとれる。…

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