20世紀日本人名事典 「寺沢国子」の解説 寺沢 国子テラサワ クニコ 大正〜平成期の新聞経営者 ユタ日報(米国日系新聞)社長。 生年明治29(1896)年 没年平成3(1991)年8月2日 出生地長野県飯田市 本名寺沢 国 学歴〔年〕共立女子職業専門学校卒 主な受賞名〔年〕エイボン女性大賞〔昭和62年〕,松本市名誉市民 経歴郷里の飯田高等女学校で2年間教えた後、大正11年米国ユタ州日本人会長の寺沢畔夫に嫁ぐ。夫が発刊した「ユタ日報」(日本語新聞)を夫が亡くなった昭和14年から平成3年まで発行し続けた。この間、大平洋戦争中も発行を許され、収容所にいた日系人の貴重な情報源になったことで知られる。また上坂冬子の小説「おばあちゃんのユタ日報」のモデルでもある。4年「復刻『ユタ日報』(1940〜1950)」が復刻出版された。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「寺沢国子」の解説 寺沢国子 てらさわ-くにこ 1896-1991 大正-平成時代の新聞経営者。明治29年生まれ。共立女子職業専門学校(現共立女子大)にまなび,母校飯田高女の裁縫教師をつとめる。大正13年アメリカのユタ州にわたり,夫の寺沢畔夫(うねお)とともに日系新聞「ユタ日報」の経営にあたる。夫の死後,編集長として戦時中も発行を継続し,50年以上にわたって日系人に愛読された。上坂冬子「おばあちゃんのユタ日報」の主人公。平成3年8月2日死去。95歳。長野県出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by