対津村(読み)たいづむら

日本歴史地名大系 「対津村」の解説

対津村
たいづむら

中世の多田(ただ)庄を構成する郷村で、現万善(まんぜん)の対津に比定される。正和五年(一三一六)一〇月一三日の多田院堂供養指図(多田神社文書)に、多くの警固の御家人の一人として「対津佐藤九郎」がみえる。多田院(現川西市)の応安元年(一三六八)四月八日の金堂供養棟別銭注文に「対津村 二十八家」とある。永和元年(一三七五)七月二五日の諸堂造営棟別銭郷村注文によると、当村の三三家が多田院の法花堂・常行堂・地蔵堂の造営のための棟別銭を納めている。文明一八年(一四八六)の多田庄段銭結解状では新田方分として「一町六段半四十内 二段半 平瀬方跡 現地一丁小四十歩」とあり、分銭四四三文を多田院に納めている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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