小二条殿跡(読み)こにじようどのあと

日本歴史地名大系 「小二条殿跡」の解説

小二条殿跡
こにじようどのあと

拾芥抄」には「俊賢卿家、師尹公家、御堂殿已下(師家)、大二条殿伝領、二条南東洞院南北二町、或号山吹殿、二条后高子宅」とあるが、これには伝領関係などに問題がある。

「日本紀略」正暦五年(九九四)八月二二日条に「以権大納言同伊周、為内大臣、公卿相率向内大臣第小二条」とあり、まず小二条殿が内大臣藤原伊周邸であったことがわかる。また「小右記」正暦六年正月九日条には「内府住家之南家関白新造所」とあり、同じく、正暦四年正月二五日条には「摂政新造二条第」とみえるから、伊周の邸宅小二条殿は、伊周の父で、当時摂政・関白の職にあった道隆が正暦年間(九九〇―九九五)の初期に新造した「二条第」のことであり、それは、「南家」と注記してあることを勘案すれば、北家と南家の二区画から成っていたと判断できる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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