小代氏館跡(読み)しようだいしやかたあと

日本歴史地名大系 「小代氏館跡」の解説

小代氏館跡
しようだいしやかたあと

[現在地名]東松山市正代

児玉党小代氏の居館で、岩殿いわどの丘陵から延びる高坂たかさか台地南縁に位置し、南に越辺おつぺ川の低地を望む。承元四年(一二一〇)三月二九日、小代行平は養子俊平に「入西郡内勝代郷村々」などを譲っているが、この譲状(小代文書)に「一所 屋敷、ほりのうちなり」とみえる。小代行平置文写(肥後古記集覧)には「小代ノ岡ノ屋敷ハ、(中略)悪源太殿、伯父帯刀ノ先生殿ヲ討チ奉リ給フ時、御屋形ヲ造ク被レテ、其レニ御座ハシマシテ」とみえ、続いて「悪源太殿ヲ御霊ト祝イ奉マツル、然レハ後々将来ニ至ルマテ小代ヲ知行セン程ノ惣領主ト謂、庶子等ト謂、怠タリ無信心致シテ、崇敬シ奉マツル可者也」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む