小佐井郷(読み)こざいごう

日本歴史地名大系 「小佐井郷」の解説

小佐井郷
こざいごう

別府湾に注ぐ丹生にゆう川下流域に比定される。大佐井おおざい郷と同じく、文治年中(一一八五―九〇)に宇佐宮太大工小山田貞遠が作成利用した宇佐宮仮殿地判指図(宇佐神宮蔵)に「小佐井郷」とみえる。同図には豊後一国平均役としての負担個所が明示されているが、当郷は置路甃六八丈五尺内若宮鳥居内一丈五尺と、西大門内置道より北まで御輿宿下甃二六丈四尺内三丈とある。豊後一宮由原ゆすはら社に対しても国衙沙汰郷郷役として、五月会流鏑馬六騎中四番を大佐井郷とともに勤仕している。ほかに竜頭・相撲・御大路造の勤仕もみえる(正慶元年正月一一日「賀来社年中行事次第」柞原八幡宮文書)。これら郷郷役は文亀元年(一五〇一)一二月一三日時点まで確認できる(「賀来社遷宮等次第記」同文書)

豊後国弘安田代注進状の内閣文庫本の一本によると、「国領小佐井郷七十町 地頭肥前国御家人草野次郎経永」とあるが、豊後国弘安田代注進状は面積部分が欠落しているし、豊後国弘安図田帳では完全に欠落している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android