日本歴史地名大系 「小千谷舟改番所跡」の解説
小千谷舟改番所跡
おぢやふなあらためばんしよあと
[現在地名]小千谷市下タ町
船着場の脇に設置された魚沼郡の出入口を扼する川番所。元和四年(一六一八)に長岡藩家老稲垣太郎左衛門から小千谷村大肝煎中町家へ出された願書(中町家文書)に「先度者、舟之儀ニ付而申入候処ニ、御通し被成候て満足申し候、今日迎舟をのほせ申候間、其分ニ御心得、御通被成候而可給候」とあり、この頃小千谷河岸を管掌していた中町家に対して遡行の許可を申入れている。山本家文書によれば、番所の規模は九尺・二間ほどで、入口にはさすまた・もじりなども置かれている。明暦二年(一六五六)の高田藩の規定(中町家文書)によれば、穀物・薪・萱・家財道具などの売買用のものには舟役を徴収し、夜中の通船を厳禁としている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報