小国沢村(読み)おぐにさわむら

日本歴史地名大系 「小国沢村」の解説

小国沢村
おぐにさわむら

[現在地名]小国町小国沢

渋海しぶみ川の支流小国沢川の中流域にある。北西上岩田かみいわた村、南西太郎丸たろうまる村。小国沢川をさかのぼって南東三・七キロの地に法末ほうすえ村がある。小国東組に属する。東方小国峠越の道は小千谷おぢやへ通じる。近世初めは高田藩領、天和元年(一六八一)から幕府領、文久二年(一八六二)長岡藩領。正保国絵図に高七一石余。天和三年の越後中将御領覚では高一四二石三斗余。元禄五年(一六九二)の小国東組郷鏡帳(林久氏蔵)では田八町二反余・畑屋敷五町六反余、山高四斗・青苧高五斗余。家数三一、男一〇五・女九一、馬一八。水下一一八石を灌漑するおお堰のほかに赤坂あかさか堰・みなみ堰・有倉ありくら堰がある。字堰平せきひらに小国沢神社がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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