小塚原村
こづかはらむら
[現在地名]名取市小塚原
増田川(青熊川)の河口広浦に面する海岸平野にあり、北東は閖上浜、西は牛野村に接する。かつては骨ヶ原とよばれ、蝦夷を埋葬したとも、日本武尊東征の際死者を埋めたともいわれる(閖上風土記)。河川の出水のため開発が遅れていたとされる。正保郷帳では田六二貫四九三文・畑三貫四九五文、水損と注され、ほかに新田四貫六二六文。年未詳の村覚(閖上観音寺蔵)によれば高一〇六貫三〇一文、うち蔵入地九四貫四七六文・給所一一貫八二五文、人頭四六人。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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