小手保(読み)おでほ

日本歴史地名大系 「小手保」の解説

小手保
おでほ

川俣かわまた町を中心に飯野いいの町・月舘つきだて町および霊山りようぜん町と福島市の東部にかかる地域と推定され、小手保庄ともみえる。近世にも小手庄・小手郷などとして広域地名となった。「和名抄」高山寺本に載る信夫しのぶ安岐あき郷の地と推測されている。立庄の経緯などは不明であるが、文明年間(一四六九―八七)頃に成立した「三箇院家抄」に「小手保庄陸奥国、五十日談義、関東右大将寄進」とあり、源頼朝が奈良春日社頭で行われる興福寺僧の五十日談義料として寄進したという。頼朝は建久元年(一一九〇)一一月二四日に関東右大将に任じられ、同年一二月三日に辞していることから(吾妻鏡)、この間の立庄とも推測される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む