小林節太郎(読み)コバヤシ セツタロウ

20世紀日本人名事典 「小林節太郎」の解説

小林 節太郎
コバヤシ セツタロウ

昭和期の実業家 富士写真フイルム会長。



生年
明治32(1899)年11月7日

没年
昭和52(1977)年8月12日

出生地
兵庫県

学歴〔年〕
関西学院高商部〔大正12年〕卒

経歴
貿易商社の岩井商店に入社。昭和2年から7年間、ロンドン支店で当時世界市場を制覇していた大日本セルロイド社のセルロイド製品を欧州各国に売り込む。9年大日本セルロイド写真フィルム部が分離して設立された富士写真フィルムに営業部長として移る。12年取締役となり、常務専務を経て、35〜46年社長。この間、25年日本写真界初の公募による「富士写真フォトコンテスト」を開催、26年には国産初のカラー映画「カルメン故郷に帰る」のフィルム製作などを通して業績を伸ばし、富士写真フィルムをコダックなどと肩を並べる世界的なフィルムメーカーに発展させた。また、37年英国のランク・ゼロックス社と合弁富士ゼロックスを設立、社長を兼務した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小林節太郎」の解説

小林節太郎 こばやし-せつたろう

1899-1977 昭和時代経営者
明治32年11月7日生まれ。岩井商店勤務をへて,昭和9年大日本セルロイドの写真フィルム部が独立した富士写真フイルムにうつる。35年から46年まで社長をつとめ,同社を世界的なフィルムメーカーにそだてた。37年イギリスのランク-ゼロックス社と合弁で富士ゼロックスを設立し,社長を兼務。昭和52年8月12日死去。77歳。兵庫県出身。関西学院高商部卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android