日本歴史地名大系 「小田井村」の解説
小田井村
おたいむら
浅間山の南斜面が緩やかになって、
小田井の名は元徳元年(一三二九)の鎌倉幕府下知状案(守矢文書)に「一番五月会分」として「右頭、大井庄内(中略)小田井・東布施郷等地頭等」とある。「延喜式」記載の官道東山道の
戦国時代、佐久衆とよばれた地侍の中に小田井氏があり、その居城小田井城は天文一二―一三年(一五四三―四四)頃小田井又六郎兄弟の奮戦の中で武田氏の手中に落ちた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報