日本歴史地名大系 「池田新田」の解説 池田新田いけだしんでん 長野県:北佐久郡御代田町池田新田[現在地名]御代田町児玉明和七年(一七七〇)上塚原(かみつかばら)村(現佐久市塚原)池田源太郎が赤岩(あかいわ)村(現佐久市赤岩)信十郎とともに児玉新田(こだましんでん)地籍の芝間開発を願い出し、許可が出るや前田原(まえたばら)村(現佐久市西屋敷)・児玉新田(こだましんでん)(現御代田町児玉)・御影新田(みかげしんでん)(現小諸市御影)等一一ヵ村入会秣場に丸やち池・長やち池を築造、堰筋を開いて開拓に着手、安永六年(一七七七)池田新田の名で縄請けした九石六斗余の土地で、当初七戸の入植者があった。名主は安永年中(一七七二―八一)の一時期児玉新田の名主が兼ねたこともあるが、その他は池田家が務めた(御代田村誌)。 池田新田いけだしんでん 大阪府:大阪市港区池田新田[現在地名]港区三先(みさき)一―二丁目・池島(いけじま)一―三丁目田中(たなか)新田の南に位置する。南は大阪湾。文政一二年(一八二九)九条(くじよう)村(現西区)の葭屋庄七が開発、新田名は庄七の本姓池田による。面積三二町九反余(西成郡史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by