小田保(読み)おだほ

日本歴史地名大系 「小田保」の解説

小田保
おだほ

和名抄」に載る小田郡域が中世に小田保と称されたものと思われる。「吾妻鏡」仁治二年(一二四一)五月一〇日条に「紀伊五郎兵衛入道寂西与同七左衛門尉重綱相論陸奥国小田保、追入村若木村両村」とみえ、紀伊寂西が当保内の追入・若木両村に関して同姓の重綱を訴えており、寂西か重綱のどちらかが追入・若木両村の地頭であったと推定されるが詳細は不明。追入は現桃生ものう河南かなん和淵の笈入わぶちのおいれに比定されている。若木は比定地不詳である。なおこの訴訟に関して担当裁判官である問注所奉行大江以康の不正(依怙贔屓)があったため、以康の所領一ヵ所が没収されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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