追入村
おいれむら
大山上村の北西に位置し、南西に金山、北東に夏栗山・黒頭峰があり、大山川支流の大乗寺川が流れる。多紀郡の最北西端に位置する。但馬・丹後から播磨・摂津へと通じる道筋にあり、宿駅として賑いをみせた。慶長一三年(一六〇八)の多紀郡桑田津之国帳に「大山之内追入町」とみえ、高一〇七石余。地内の荒田久兵衛らが町立てと諸役免除を出願したのに対して同一四年に追入町諸役免除状(荒田家文書)が八上城家老から出されている。寛永一三年(一六三六)大山上村との間で山役の負担額をめぐって争論となり、大山中村の仲介で落着、追入町分は三七五文とされた(西尾家文書)。正保郷帳では追入村として田高八九石余・畠高一八石。国立史料館本元禄郷帳では高一一二石余とあり、オヒレの訓が記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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