遠田郡(読み)とおだぐん

日本歴史地名大系 「遠田郡」の解説

遠田郡
とおだぐん

面積:二二二・八五平方キロ
南郷なんごう町・涌谷わくや町・小牛田こごた町・田尻たじり

県の北部に位置する。近世時の遠田郡は北は登米とめ郡・栗原郡、東は桃生ものう郡、西・南は志田郡に接した。近代に入って西部が古川市に、北部が現登米郡米山よねやま町に編入。現在の遠田郡は北は登米郡・栗原郡、東・南東部は桃生郡、南西部は志田郡、西は古川市に接する。郡のほぼ中央部に篦岳ののだけ丘陵が横たわり、北境を旧はさま川、南境を鳴瀬なるせ川、篦岳丘陵南麓を江合えあい川がそれぞれ南東流し、郡東端では旧北上川・迫川・江合川の合流点となっている。国道一〇八号がほぼ江合川に沿って東西に通り、桃生郡河南かなん町・石巻いしのまき市方面と古川市方面とを結ぶ。また国道三四六号が南北に通り、一〇八号と涌谷町の中心地区で交差する。鉄道は東北本線が郡中央西寄りを南北に通り、田尻駅・小牛田駅がある。小牛田駅は石巻線・陸羽東線の分岐点となっており、石巻線は涌谷町に二駅、陸羽東線は小牛田町に二駅ある。また涌谷町の東端を気仙沼線がかすめ、のの岳駅が置かれている。

〔原始〕

遺跡は篦岳丘陵周辺と、鳴瀬川・江合川の形成した段丘上に分布。縄文時代の遺跡は、当地域にも松島湾沿岸と同様多数の貝塚が分布する。早・前期の小牛田町素山そやま貝塚はハマグリ中心の鹹水産貝で構成されている。縄文早・前期にかけて篦岳丘陵の南麓から小牛田町周辺まで海岸線が及んでいたことが知られる。以後海退が進行し、前期以後の貝塚は成立していない。しかし篦岳丘陵北側の旧迫川流域の貝塚群に属する涌谷町の長根ながね貝塚、田尻町中沢目なかさわめ貝塚などは淡水産シジミ、イシガイヌマガイなどを主体とし、多少の鹹水産貝が混入する。海退後の湖沼の出現など環境の変化を示し、縄文人の生活転換を実証する。中沢目貝塚からはサケ・マス科の遺存骨が多数検出され、亀ヶ岡文化圏にあったことを示す。近くの恵比須田えびすだ遺跡からは縄文晩期の全長三六センチの大型中空の遮光器土偶が発見された。弥生時代の遺跡として涌谷町小里の松崎おさとのまつざき遺跡で桝形囲式土器、田尻町大貫おおぬき四島よしま遺跡から籾痕土器が発見され、篦岳丘陵北部でも稲作が行われていたことが知られる。

小牛田町の江合川と鳴瀬川に挟まれた河岸段丘上には、全長約六二メートルの京銭塚きようせんづか古墳のほか中期から後期の古墳が密集する。この時期の集落遺跡として同町山前やままえ遺跡がある。縄文早期の貝塚、中期竪穴住居跡とともに古墳時代の大溝に囲まれた遺構の発見があり、単なる区画や排水路ではなく、防御的性格をもったものと推定されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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