小督局
没年:没年不詳(没年不詳)
生年:保元2(1157)
平安末期,高倉天皇の女房。藤原成範の娘。『明月記』によると元久2(1205)年には生存していた。治承1(1177)年皇女範子(坊門院)を生むが,以後出仕せず,3年出家。のちに嵯峨付近に隠棲した。『平家物語』巻6では,高倉天皇に寵愛されるが,平清盛の怒りをおそれて嵯峨に逃げる。天皇の使,源仲国に捜し出され,秘かに宮中に戻り,女子を生む。しかし清盛の知るところとなり,出家させられて宮中を追い出されたとある。これは清盛の悪逆の例として潤色されて描かれたものか。なお,天皇に召される以前に藤原隆房と交渉があったとする部分は,隆房作『艶詞』に多くよっている。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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小督局 こごうのつぼね
1157-? 平安時代後期の女官。
保元(ほうげん)2年生まれ。藤原成範(なりのり)の娘。高倉天皇の寵愛(ちょうあい)をうけ,治承(じしょう)元年範子内親王(坊門院)を生む。2年後出家。「平家物語」によれば,平清盛の娘で天皇の中宮徳子(建礼門院)の気持ちをおもいやる清盛ににくまれ,出家させられたらしい。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の小督局の言及
【お万の方】より
…(1)徳川家康の側室(1548‐1619∥天文17‐元和5) 小督局ともいう。父は永見志摩守吉英(淡路守貞英),また村田意竹(田村意斎)との説もある。…
【相府蓮】より
…相夫恋,想夫憐,相夫憐,相府連とも書く。高倉天皇の寵姫,小督局(こごうのつぼね)が嵯峨野で箏を弾いていたときの曲という伝説で有名で,《枕草子》の中にも紹介されている。曲の由来については,晋の大臣王僉(おうせん)が家に蓮を植えて可愛がったからとか,王僉が一時失脚して後に返り咲いたのを時の人が蓮の花にたとえて作ったとも伝える。…
【藤原成範】より
…その間,平清盛の女婿となり,また後白河院の執事別当に補されて院務を掌握した。吉野山にあこがれ,邸内に多くの桜を植えたので,桜町中納言と称され,また高倉天皇の寵妃として名高い小督局は,その女である。【橋本 義彦】。…
※「小督局」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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