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藤原成範 ふじわらの なりのり

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原成範 ふじわらの-なりのり

1135-1187 平安時代後期の公卿(くぎょう)。
保延(ほうえん)元年生まれ。藤原通憲(みちのり)の子。母は藤原朝子(紀二位)。平治(へいじ)の乱で配流されたがまもなくゆるされ,承安(じょうあん)4年(1174)参議。のち正二位,中納言となる。桜をこのみ,桜町中納言と称された。勅撰集には「千載和歌集」以下に13首。説話集「唐(から)物語」の作者とみられる。文治(ぶんじ)3年3月17日死去。53歳。

藤原成範 ふじわらの-しげのり

ふじわらの-なりのり

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

藤原成範

没年:文治3.3.17(1187.4.27)
生年:保延1(1135)
平安末期の公卿。本名は成憲。世に桜町中納言といわれた。藤原通憲(信西)と後白河天皇乳母紀二位の子。久寿1(1154)年叙爵。平治の乱(1159)でいったん解官,配流されるが許され,平清盛の娘婿であったことも手伝い,のちには正二位中納言兼民部卿に至る。また後白河院政開始以来の院司で,治承4(1180)年には執事院司となり激動の内乱期を乗りきった。一方和歌に優れ,『唐物語』の作者に擬せられている。桜を好み,風雅を愛した文化人でもあった。娘に『平家物語』で名高い小督局がいる。<参考文献>角田文衛『平家後抄』

(木村真美子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ふじわらのしげのり【藤原成範】

1135‐87(保延1‐文治3)
平安末期の公卿。少納言入道通憲(信西)の男。初名成憲。母は後白河天皇の乳母として有名な紀二位藤原朝子。1153年(仁平3)鳥羽院判官代より右近衛将監に出身し,左近衛少将から中将に進み,遠江,播磨の守を兼ねた。平治の乱に際し解官配流されたが,程なく召還されて大宰大弐に任ぜられ,成範と改名した。66年(仁安1)従三位に昇り,参議を経て正二位中納言に至った。その間,平清盛の女婿となり,また後白河院の執事別当に補されて院務を掌握した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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世界大百科事典内の藤原成範の言及

【唐物語】より

…平安末期の成立。著者は藤原成範(しげのり)(1135‐87)と言われる。王朝人に親しまれた〈楊貴妃〉〈反魂香〉〈王昭君〉〈呂太后〉〈張文成〉などの故事を,漢文訓読調の直訳ではなく,情趣豊かな和文に翻訳,和歌を配して王朝物語風に仕立てたもので,教訓的口吻,仏教的色彩,伝奇への興味も見られるが,全体として主情的で,翻訳文学の先駆とされる。…

※「藤原成範」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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