小石川久保町(読み)こいしかわくぼちよう

日本歴史地名大系 「小石川久保町」の解説

小石川久保町
こいしかわくぼちよう

[現在地名]文京区小石川四丁目

小石川橋戸こいしかわはしと町の南方伝通でんづう境内の北西方に位置する町屋で、久保は窪とも書く。町屋は西・東・南の三ヵ所に分在する。かつては小石川村幕府領の百姓地で、元和九年(一六二三)に伝通院領となり、寛永二年(一六二五)百姓町屋を許され、延享二年(一七四五)町並地となった。町の草創人は長十郎である。西の町屋は善仁ぜんにん寺境内の東にあり、北は光円こうえん寺境内、南は武家地。西の町屋と道を隔てて東に東の町屋があり、東の町屋の東は光円寺境内。南の町屋は東の町屋の南東方にあり、道を隔てて南は武家地、東は伝通院境内、北は光円寺や慈照じしよう院の境内。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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