小童城跡
こどうじようあと
美生南部にある標高五八〇メートルの急崖山上にあり、渋川義陸・義正・陸景(義満)三代の居城と伝え、北側最高部に本丸、南に二段の郭が残る。渋川氏は貞治年間(一三六二―六八)に九州探題として下向した渋川義行の子孫で八幡庄を領し、義陸のとき宮内村勝山城から当城に移ったと伝える。義正は毛利元就の妹を妻とし、その子義満は今探題と称された。天正元年(一五七三)または元亀三年(一五七二)に落城したという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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