朝日日本歴史人物事典 「渋川義行」の解説
渋川義行
生年:貞和4/正平3(1348)
南北朝時代の武将。直頼の子。右兵衛佐,のち武蔵守。貞治4/正平20(1365)年,18歳の若さで九州探題に任じられるが,それには叔母で,将軍足利義詮の正室渋川幸子の力が働いていたといわれる。当時,九州は征西宮懐良親王(後醍醐天皇の皇子)率いる南朝方の圧倒的勢力下にあり,すでに前任の斯波氏経は九州を追われていたが,義行に至っては就任後5年たっても九州への上陸すら果たせず,応安3/建徳1(1370)年ついに解任された。九州に下向する際与えられた備中(岡山県)・備後(広島県)両国守護職のうち備中守護職は子の満頼に受け継がれ,備後には一族が一国人領主として戦国時代まで勢力を保った。
(河村昭一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報