小荒路村(読み)こあらじむら

日本歴史地名大系 「小荒路村」の解説

小荒路村
こあらじむら

[現在地名]マキノ町小荒路

七里半しちりはん越に沿い、南は海津かいづ村、北は野口のぐち村。村名は往古荒道あらち山路の山口の意といわれる(高島郡誌)。七里半越に沿う地域には木曾義仲に関する伝承が数多く残る。幕府領から慶安四年(一六五一)上野館林藩領、延宝八年(一六八〇)幕府領に復し、享保九年(一七二四)以降大和郡山藩領。寛永石高帳に高五六二石余とあり、慶安高辻帳では田方四八九石余・畑方四五石余・永荒二七石余、ほかに小物成米二升・銀八〇匁余。享保九年大和郡山領郷鑑によれば高五六二石余、反別五七町一反余、家数一一五(うち本百姓九一・水呑二四)・人数五五九、馬五九、そのほか酒株をもつ吉左衛門がいた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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