小野瓢郎(読み)オノ ヒサゴロウ

20世紀日本人名事典 「小野瓢郎」の解説

小野 瓢郎
オノ ヒサゴロウ

明治・大正期の薬学者 富山薬学専門学校校長。



生年
慶応3年11月23日(1867年)

没年
大正10(1921)年10月19日

出生地
江戸・小石川

学歴〔年〕
帝国大学医科大学薬学科〔明治26年〕卒

学位〔年〕
薬学博士〔大正4年〕

経歴
明治18年東京大学予備門に入り、23年第一高等中学校を卒業して帝国大学医科大学薬学科に入学、26年卒業して京都同志社経理科教員となり、京都薬品試験所技師を兼ねた。ついで東京帝大医科大学助手に転任、のち東京薬学校、愛知県立医学校、愛知薬学校などで教鞭を執り、41年愛知薬学校校長に就任。大正4年富山薬学専門学校校長となる。ヤマジソの揮発油中のチモール発見、エゴノキの果実中の有毒配糖体の発見、サルバルサンの製造実験などの業績を残した。10年三重県に客死した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小野瓢郎」の解説

小野瓢郎 おの-ひさごろう

1867-1921 明治-大正時代の薬学者。
慶応3年11月23日生まれ。東京薬学校などでおしえ,明治41年愛知薬学校校長に就任。大正4年富山薬専校長となる。ヤマジソの揮発油中のチモール発見やサルバルサンの製造実験などの業績をのこした。大正10年10月19日死去。55歳。江戸出身。帝国大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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