翻訳|Salvarsan
1910年に秦佐八郎とP.エールリヒらが開発した梅毒治療薬で,化学療法剤の第1号。有機ヒ素化合物で,化学名は3,3′-ジアミノ-4,4′-ジヒドロオキシアルセノベンゼンの塩酸塩。秦らは多数の有機ヒ素化合物を合成し,それら一つ一つの実験梅毒に対する効果を調べたが,606番目のものが最も効果が高く,かつ毒性が弱いことを発見した。製造番号から,この薬剤は606号と呼ばれ,ドイツのヘキスト社からサルバルサンの名で市販された。サルバルサンは梅毒に対して盛んに用いられたが,治療効果が十分でないうえに,副作用も多発したことから,ペニシリンが発見され実用化された40年代以後はあまり用いられなくなった。
→梅毒
執筆者:川口 啓明
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…この側鎖説は〈エールリヒの側鎖説〉と呼ばれ,この業績によって,1908年,E.メチニコフとともにノーベル生理・医学賞が授けられた。一方,病原体に有効な化学物質の発見にも力をいれ,1904年に志賀潔とともにトリパノソーマに有効なトリパン・レッドを,10年に秦佐八郎とともに梅毒の病原体トレポネマに有効なサルバルサンを発見し,化学療法の創始者となった。このほか,ジフテリアの血清療法を始めるなど業績は多い。…
…ついで彼と秦佐八郎は多数の有機ヒ素化合物を系統的に合成し,それらの実験梅毒に対する効果を一つずつしらべた。606番目の合成品に至って,これが最も毒性が弱く効果の高いことが発見され(1910),サルバルサンと命名されて臨床にも使用されることになった。こうした方法によって,原虫や梅毒トレポネマに対する化学療法はその後も発展した。…
…梅毒が他の性病と区別されるようになったのは,1905年にF.R.シャウディンとホフマンErich Hoffmann(1868‐1959)により梅毒トレポネマが発見されて以後のことである(はじめスピロヘータ・パリダと命名,のちにトレポネマ・パリズムと改称)。1910年P.エールリヒ,秦佐八郎によって有機ヒ素剤であるサルバルサンが開発され,初めての化学療法剤として梅毒の治療に用いられたが,治療効果は不十分であり,副作用が多発した。40年代以降は,梅毒に対してはペニシリンを中心とする抗生物質による治療が行われるようになった。…
※「サルバルサン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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