小石川(読み)こいしかわ

精選版 日本国語大辞典 「小石川」の意味・読み・例文・類語

こいし‐かわ ‥かは【小石川】

[1] 〘名〙 底に小石多くころがっている川。
浄瑠璃信州川中島合戦(1721)四「小川小石川ころびあふてころびころび」
[2]
[一] 旧東京市の三五区の一つ。昭和二二年(一九四七)、本郷区と合併して文京区形成。今日の文京区の西半部にあたり、白山大塚、目白台、音羽後楽などが含まれる。
[二] 東京都文京区中央部の地名。台地上は学校・住宅地区で、低地には印刷・製本工場が多い。

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デジタル大辞泉 「小石川」の意味・読み・例文・類語

こいしかわ〔こいしかは〕【小石川】

東京都文京区の地名。もと東京市の区名。

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日本歴史地名大系 「小石川」の解説

小石川
こいしかわ

小石川台と小日向こびなた台の間を南流する小石川(谷端川)の下流域をいう。かつて一帯を小石の多い小川が幾筋も流れていたことが地名の由来(「江戸志」など)とされる。漢語風に礫川れきせんともよんだ。江戸時代には東部を中山道、西部を清戸きよと(現春日通)が通っていた。江戸城外堀の北に続く地にあったため、江戸市中の拡大とともに、徐々に市街化が進んだ。

中世には現在の簸川ひかわ神社(千石二丁目)から極楽水ごくらくみず(現在の宗慶寺境内)付近が地域の中心と推定され、現在の千石せんごく三丁目交差点(猫又橋)付近を北限とし、飯田橋いいだばし水道橋すいどうばし付近を南端とした。東は湯島(本郷)、西は牛込小日向に隣接。当地の領有関係を示す史料は残らないが、公領であった可能性が高い。現小石川四丁目の光円寺は、行基開創という縁起を伝え、都内屈指の大銀杏(第二次世界大戦時の空襲で焼失)があった。

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百科事典マイペディア 「小石川」の意味・わかりやすい解説

小石川【こいしかわ】

東京都文京区西半部の旧小石川区をさす。山手台地とこれを切る谷からなり,江戸時代は武家屋敷寺院が多く,小石川薬園小石川植物園),小石川養生所があった。現在の小石川は白山通りと春日(かすが)通りにはさまれた地で,学校,印刷・製本工場が多い。
→関連項目キリシタン屋敷元禄の大火

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小石川」の意味・わかりやすい解説

小石川
こいしかわ

東京都文京区南西部の地区。旧小石川区で、現文京区の西半部を占めていた。本郷(ほんごう)台と豊島(としま)台(大塚台と小日向(こびなた/こひなた)台)の間を流れる川は礫川とも書き、小石の多い川であったことが地名の由来。いま川は暗渠(あんきょ)となり、存在さえはっきりしない。台地面は、江戸時代には畑地が広く、武家屋敷、寺院、住宅がまばらにみられた。現在の小石川地区は明治以後、学園、住宅地として発展、また旧小石川の谷は出版・印刷業が集中している。伝通院(でんづういん)のほか、寺院が多い。

[沢田 清]

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世界大百科事典 第2版 「小石川」の意味・わかりやすい解説

こいしかわ【小石川】

東京都文京区西部の地区名。小日向・白山両台地とその間の低地を含む神田川北岸の地区を指すが,狭義には現在の1~5丁目の行政町名を指す。中世以来小石川の地名があったが,1878年関口,音羽など周辺地域を合わせて東京府小石川区が成立した。1947年本郷区と合併して東京都文京区となった。本郷台と小日向台を分ける小石川の谷には,共同印刷の本社工場をはじめ,製本・印刷工場が多い。台地上は静かな住宅地で,お茶の水女子大学,拓殖大学付近は文教地区となっている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小石川」の意味・わかりやすい解説

小石川
こいしかわ

東京都文京区南部の地区。旧区名。印刷・製本工場が多く,伝通院をはじめ寺や学校も立地。北に隣接する白山に東京大学理学部付属小石川植物園 (→小石川薬園 ) がある。白山通り,春日通りが通る。

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