小鷹利郷
こたかりごう
現古川町西部および河合村・宮川村の宮川以西の地域を占めていた中・近世の郷名。戦国期に富安郷から分れた郷と推定される。天文五年(一五三六)の河合村新名の願念寺本尊裏書に「吉城郡小鷹利郷新名村専慶」、同八年六月一一日の同村稲越の願教寺本尊裏書に「小鷹利郷慶条村」、同一一年一一月七日の古川町信包の向善寺本尊裏書に「小鷹利郷野々俣唯信」とみえる。なお建武年間(一三三四―三八)姉小路家綱が飛騨国司に任命され、当郷内の信包城を居城とし、のちその庶流が小鷹利氏を名乗ったが、天正一三年(一五八五)金森長近に攻められ、常陸に落延びたという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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