尚順(読み)ショウ ジュン

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「尚順」の解説

尚 順
ショウ ジュン


肩書
貴院議員,琉球新報創業者

別名
通称=松山王子 号=鷺泉

生年月日
尚泰26年4月6日(1873年)

出生地
琉球・首里(沖縄県)

経歴
最後琉球王である尚泰の四男。明治5〜12年の琉球処分により父と上京したが、25年帰県。26年沖縄最初新聞である琉球新報を創刊、社長。32年沖縄銀行を創設した他、船会社農園など様々な事業を展開した。尚家の分家として男爵を授けられ、37年〜大正4年貴院議員。昭和20年6月沖縄戦の最中、避難濠の中で死去した。

没年月日
昭和20年6月16日

家族
父=尚 泰(最後の琉球王) 兄=尚 典(貴院議員) 六男=尚 詮(琉球新報取締役)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「尚順」の解説

尚 順
ショウ ジュン

明治〜昭和期の実業家,政治家,男爵 琉球新報創業者;貴院議員。



生年
尚泰26年4月6日(1873年)

没年
昭和20(1945)年6月16日

出生地
琉球・首里(沖縄県)

別名
通称=松山王子,号=鷺泉

経歴
最後の琉球王である尚泰の四男。明治5〜12年の琉球処分により父と上京したが、25年帰県。26年沖縄最初の新聞である琉球新報を創刊、社長。32年沖縄銀行を創設した他、船会社や農園など様々な事業を展開した。尚家の分家として男爵を授けられ、37年〜大正4年貴院議員。昭和20年6月沖縄戦の最中、避難濠の中で死去した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「尚順」の解説

尚順

没年:昭和20.6.16(1945)
生年:尚泰26.4.6(1873.5.2)
近代沖縄の黒幕的な政治家。最後の琉球王尚泰の4男で,松山王子と通称される。男爵に列せられた。首里の守旧派を糾合して沖縄初の新聞『琉球新報』を創刊するなど影響力を強める。政府・県政と妥協し,その範囲内で旧首里士族の権益を図ることに努めた。かたわら銀行,缶詰工場,運輸,商業,農園などの事業にも参画し,経済界でも隠然たる勢力を保持した。沖縄戦の最中,南部に日本軍と共に逃れたが,避難濠の中で衰弱のため死去した。<参考文献>山里永吉編『松山王子尚順遺稿』

(高良倉吉)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「尚順」の解説

尚順 しょう-じゅん

1873-1945 明治-昭和時代前期の実業家。
尚泰王26年4月6日生まれ。最後の琉球国王尚泰の4男。琉球処分で父とともに上京。帰郷して明治26年沖縄で最初の新聞「琉球新報」を創刊。32年沖縄銀行を創立。また船会社や農園など各種事業を幅ひろく手がけた。37年貴族院議員。昭和20年6月16日死去。73歳。号は鷺泉(ろせん)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「尚順」の解説

尚 順 (しょう じゅん)

生年月日:1873年4月6日
明治時代-昭和時代の政治家。男爵
1945年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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